離乳食、はじめました。
まずは米から煮て裏ごしするという、一番面倒な手順を踏んでみる。
何事も経験。
大さじ1の米に150mlの水、
なんというチマチマさよ。
お蔵入りしていたホウロウのバターウォーマーが、こんな形で活躍する日が来たのだった。
今年は、満開になってから雨や風ばかりが続いている。
夕方近くにようやく止んだ雨上がりの道を、図書館に向かって歩いていく。
息子が生まれてから、抱っこしながら片手でもできることとして、よく本を読むようになった。
いつでも中断できる、だけど単なる暇つぶしではない本、を選ぶのは案外難しい。
満開の桜の中、一ヶ月ぶりの採血検査へ。
以前採血時に貧血で倒れて以来、そこの病院で私は採血ブラックリスト入りしたらしく、いつも順番が来ると「ベッド採血にしますか?」と聞いてくれる。
ベッド採血は楽なのだけど、前回も今回も脱ぐのが面倒な靴だったので、普通に座って採ってもらうことにした。
前回の採血時のこと。
いつものようにさわやかな草原や海原を思い浮かべようと目を瞑ったら、血を採っていた看護師さんに突然「目、閉じない方がいいです!その世界に入っちゃうから!」と言われた。
慌てて目を開けると、「そう、現実を見てください!」
「目を閉じた方が違う風景がイメージできるかなあと思ったんですけど、閉じない方がいいですか?」と尋ねる私に、
「閉じない方がいいです!(壁に貼られた風景写真を指差し)たとえばこれとか、現実を見た方がいいです!」
その後ほんの一分ほどの間に何度も「現実を見てください!」と言われたのだった。
なかなか寓意に満ちた助言であった。
5ヶ月の息子が寝返りをするようになった。
それまでは何週間もの間、背中を弓なりに反らせたり横向きになったりはするものの、寝返れそうで寝返れないという状態がずっと続いていた。
それなのに、いったんできるようになってしまうといとも簡単にくるくると回る。
それを見ていたらふと思った。
人間には「できるようになってしまうと、できなかった頃には戻れないこと」がある。
あるいは「知ってしまうと、知らなかった頃には戻れないこと」。
寝返り。
立って歩くこと。
自転車の運転。
文字を読むこと。
数を数えること。
それらの前後では何かが決定的に違ってしまっていて、
たぶん、できるようになることと引き換えに、見えにくい何かが失われているのだと思う。
たとえば、絵本の文字を読むことなしに絵本を味わうような能力が。
「できるようになる」ことは、遅かれ早かれできるようになる。
いつかできるようになるのであれば、
それはあんまり急がなくていいから、いつかなくなってしまう「できなかった頃」を、大切にしてあげたいと思う母なのだった。