「きのう何食べた?」ロス

4月から毎週すごく楽しみにしていたドラマ「きのう何食べた?」が、とうとう終わってしまった。

最終回とその前の回、シロさんの実家が出てくるシーンがとてもいい。
梶芽衣子演じるシロさんのお母さんや、実家の佇まいが本当にリアルで、メインに描かれてるのはシロさんとケンジの家なのだけど、実家には実家の物語があってそっちもちゃんと裏側で進行してるんだな...ということが分かる。
そういう「奥行き」や「背景」がしっかり感じられるのは、間違いなくいいドラマだ。

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シロさんとお母さんが並んで揚げ物の用意をする場面。
会話もしみじみと良かったし、料理の知識も「へぇ~」なことがいっぱいで、
「帰省したときに手伝う実家の台所」の理想形が、そこにあるみたいだった。

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『サカナ・レッスン』やドラマに影響されて久々に上がったやる気で、保存調味料を作ってみたりした、雨の週末。

さばいてみたい

例年になく梅雨らしい雨続きに加え、外壁工事の足場で室内も暗く、ちょっと鬱々とした毎日。

そんな中、たまたま図書館で見つけた新刊『サカナ・レッスン』を借りて読んだら、なんかちょっとスカッとした気分になった。

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前作『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』がかなり面白かったので、同じ著者&訳者のこれもきっと面白いだろうと期待した通り、軽快な文章と豊富な取材内容で、あっという間に読めてしまった。

料理家でライターの著者キャスリーン・フリンが、魚料理をマスターしに日本にやって来て、築地に見学に行ったりお寿司の学校に行ったりするお話。
ちょうど築地市場最後の日に見学に行くという取材のタイミングもあって、より興味深かった。
築地で初めて貝や海老の踊り食いを経験する場面とかは、あ~なるほど、外国人からするとこんな体験なんだというのが良く分かった。
まぁ、グロテスク以外の何ものでもないだろうな。。

前作を読んだときも今回の作品を読んだ後も、自炊欲、料理欲が高まるから不思議。

G-SHOCK(だいぶ長文)

晩ごはんの後、風呂場に干した洗濯物を夫と二人で取り込んでいたら、リビングで一人デザートを食べながらテレビを見ていたはずの息子が、今にも泣きそうなこわばった顔をして、廊下をタタタと駆けてきた。
「なんか、なんか...」と言って、リビングの方を指差す。
未知のものを見る表情。
この時点で、私には分かった。

ホラー映画でも何でも、一番怖いのは「そのもの」が出てきたときではなくて、「それ」を見た人の恐怖の表情が写されたときだ。

一縷の望みを託して「何?虫?クモ?」と聞いてみるも、首を傾げながら「むし...?なんか、なんか...」と自信なげに言う息子。
クモならクモと言える息子だ。
もうアレしかあり得ない。

凍りついた心臓を辛うじて動かしながら恐る恐るリビングを覗くと、息子の指差す方に、果たしてGはいた。

息子を抱きかかえて風呂場に走って戻り(と言ってもたかだか3m)、夫に事態を告げ、ひたすら息を潜めて退治してもらうのを待つ。
ただならぬ母の様子を見て、耐えきれず泣き出す息子。
私も泣きたい。

今年、建物の大規模な外壁工事が行われることになったと知った時点で、嫌な予感しかしていなかった。
排水管も少しいじると言っていたし、自分の家は万全に対策していたとしても、他の部屋からアレが移動してくる可能性も高い。
しかも、築15年以上経つ建物に引っ越してきて初めての梅雨。
毒団子は5月早々に家の外あちこちに仕掛け、さらに、一本しかなかった殺虫剤を、念のため部屋のもう一ヶ所に置いておくため追加購入したのがつい先週。
その追加の一本の場所を夫にちゃんと伝えておいたのが、功を奏した。

ただ後から聞くと、夫は息の根を止めるまでスプレーをかけずに、半殺しでトイレに流したらしい。
それを聞いて一瞬夫に殺気立ったけど、いやいやいや。
夫がいてくれなかったら、今日は夜寝ることもできなかったのだ。

落ち着いてから夫に、「ちょっといいかな。これ、めっちゃ大事な話だから。」と、正座して臨む私。
私「結婚してから、家の中にアレが出たのは初めてだよね?」
夫「そうだっけ?前のマンションでも見たじゃん」
私「外廊下とかにいたことはあるけど、家の中ではないでしょ?初めてのことだから、ちゃんと話しとくけど」

以下延々と、私がどんなにアレがダメかを力説する。
病気と思ってもらっていい。だけどそれを馬鹿にしたり軽んじたりしてほしくない。
奴らはほんの少しの隙間で入ってこれる。
アレを見ないために私は最大の努力をしているので(引っ越してすぐ目につく隙間にバチバチに目張りをした・ぬめりを作らないために毎日キッチン排水溝を掃除している・毒餌をたくさん仕掛けている)、外から入ってこないよう、ベランダや玄関をあけるときには重々注意してほしい。
段ボールに潜んで、あるいは卵を産みつけた段ボールから部屋に入ってくることもあり得る。
生命力が強いので、やるときは確実に息の根を止めてほしい。
万一どこか隙間に入り込まれても、絶対に目を離さないで、行き先を見届けてほしい。

さらに、ちょうど昨日、flyingtigerで350円で見つけた伸び縮みする虫取り網(魚とり網という名前だったけど)を念のため買っておいたのだ(タイムリーすぎる!)とその網を取り出して見せたら、さすがに夫も苦笑して、なんとか「軽んじたら離婚問題に発展する」という私の深刻さを分かってくれたみたいだった。

夫には言わなかったけれど、実際に昔、結婚を考えていた人と、別れの遠因になったことだってあったのだ。

あれも確か梅雨の頃だったと思う。
20年近く独り暮らししていて、アレが室内に出たのはたったの一回だったけれど、出たのは特大のやつだった。
それも隣の建物が工事で取り壊されているときだったのだけど、当時は15年ぐらい出ていなかったので(というか、独り暮らししていて初めてだった)、油断してショックがかなり大きかった。
震えながら当時付き合っていた人に電話をしたのだけど、その人はアレを日常的に見ることがない地方の出身だったせいか、実感に乏しくて、怯えまくっている私を、あろうことか笑ったのだ。

ただまぁ、ここまではよくある話だと思う。

そこから一ヶ月ほど経ったとき、今度はその人の部屋にGが出た。
そのとき、彼はめちゃくちゃ慌てながら私に電話をしてきて、すぐに来てくれ、殺虫剤ないからそれも持ってきてくれと言うのだ。
来てくれと言われても、彼の家までは小一時間かかる。
しかももう、部屋着に着替えてごはんも食べ終わり、そろそろお風呂に入ろうかという時間帯。
私が行ってどうなるものでもないので、行けないけど電話はつないでおくから、とにかく追い詰めて殺しなよと応援したら、「冷たいね、もういい」と電話を切られたのだった。

かなり焦っていたんだろうけど、今思うとろくでもない。
だけど私は、アレを見たことがない(かもしれない)人が、独り暮らしの部屋で丸腰で出くわした恐怖を思ったのと、後で自分が後悔しないために(彼との関係を維持するためにできるだけのことはやった、と思えるために)、そこからもう一度化粧をして服を着替えて、電車に乗ってその人の家に向かったのだった。殺Gスプレーを持って。

その一件は、私に、その人との結婚生活を思いとどまらせるひとつのきっかけになった。
彼が笑って取り合わなかった私のピンチが、いざ自分に訪れたときに、この人はこういうことになるんだ、と。
これは、ちょっと結婚できないかもしれないな、と。
それから色々あってその人とは別れてしまったのだけど、この出来事に象徴される彼の態度への判断は、正しかったなと今でも思う。

そんなわけで、私のG恐怖に対するパートナーの態度は、本当に別れる別れないに関わってくる問題なのだった。

アレに関わるものはとにかく目にしたくないので、ひんやりした記念に、アイスクリームの旗の写真でも載せておこう。

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「母はカフェが好きな人だった」

外壁工事が始まって、室内が毎日暗い。
外へ行こうにもお天気が微妙でなかなか出られず、網戸が外されて換気もできない部屋で、息子と二人閉じこもっているのも何なので、ふと思いついて、いつも一人で行くカフェに息子を連れて行ってみることにした。

子連れの外食はお世話が大変すぎて、二人だけの外食はずっと避けていたのだけど、息子ももうけっこう一人で食べられるようになってきたし、比較的おとなしく座っていられる。
ずっとやりたかった「子どもと一緒にカフェに行く」を、そろそろやり始めることができるんじゃないかと思ったら、ちょっと嬉しくなってきた。

子どもにも優しいお店で、何種類かあるおこさまランチ的なものの中から、オムライスランチをチョイス。

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時々お手伝いしてあげたら、あとはけっこう上手におとなしく食べてくれたので、まずまず上出来のカフェデビュー。

「今日は『カフェ』に行くよ」「ここは『カフェ』だよ」「『カフェ』、楽しかったね~」と「カフェ」を連発しておいたので、いくつかまた他のカフェに行くうち、「カフェとはなんぞや」が、息子の中で形づくられていくだろう。

息子が将来、喫茶店で一服するのが好きな大人になって、「母はカフェが好きな人だった」と回想したりするのを、なんとなく想像したりしている。

おいしそう

新しい時計が来た。

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誕生日プレゼントにリクエストした、ミナペルホネンの「bolo」。
ポルトガル語で「ケーキ」という名の時計。
確かに、ふんわりした丸みと生地の質感が、卵ボーロみたいでとってもおいしそう。

寝室と引き戸でつながったリビングにはこれまで時計がなくて、日中は引き戸を開け放しているから寝室の時計が見えるのだけど、朝や夜遅く、息子を寝かせて引き戸を閉めてしまった後に、リビングに時計があったらいいなと夫も私も思っていた。
だけど絶対必要というわけでもないので、いいものがあったら...ぐらいに探していたとき、ちょうど表参道のcallで実物を見る機会があって、一目見て「これだ!」と目がハートになったのだった。

赤くて目を引くこともあって、思ったより一日に何度も見ている。
そのたびに「可愛いな~」と嬉しくなる。

洋服とか靴とかアクセサリーは毎日同じものは使わないけど、こういう毎日使うものこそ、妥協せず気に入ったものにするといいな。

団地今昔

前から気になっていた、巨大団地の中にあるカフェへ。

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結婚前に一度、こことは別の巨大団地を内見しに行ったことがあった。
そのときに初めて、高度成長期に建てられた団地というのを目にしたのだけれど、そういう団地の中には、いろんな市場が集まっている一画というのがあったらしい(たいていそれはとても軒が低い)。
団地の人口が減っていくにしたがってその商店街はさびれ、私たちが内見しに行ったときは、ポツ、ポツ、と2,3の店だけがぼんやり灯りをつけているような状態だった。

そのあまりのさびしさにもテンションが下がり、結局そこは見送ったのだけれど、
今回訪ねた巨大団地のその一画は、どうやら活性化を図っているのか、わざわざ訪ねていきたいようなカフェが入っているのだった。

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店内は盛況で、ひっきりなしにお客。
いろいろ観察していると、私と同様、団地外からやってきた人もかなり多いみたいだった。

2種類のランチのうち、ミートソースドリアをオーダー。

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熱々で味もしっかりしていて、とってもおいしかった。

帰り道は、団地内をキョロキョロ観察しながらてくてく。
後で調べたら、築50年は超えている建物群。
その規模の大きさといい年季といい、昭和にタイムスリップしたかのような懐かしさ漂う一大エリアだった。

なんだか70~80年代のドラマを見たくなった。

medicine

立ち寄ったカフェで、大好きだった懐かしい雑誌に再会した。
2000年代の後半に出会って、休刊になるまでほぼ毎号読んでいたリンカラン

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家事とか、出産とか、時々海外の生活とか、その時々によって特集は違ったけれど、「暮らしの手帖」とも「クウネル」とも微妙に違う、私にとって絶対的に好きな何かが、リンカランにはあった。

この雑誌に、心底癒されていた一年があった。

20代の終わり、必要最小限の仕事と人づきあいしかせず、傷ついた羽をひっそりと癒すように生きていた一年があった。
今で言う完全なパワハラ事件に遭ったのだけれど、当時はもちろんそんなことは分からず、ただただ呆然としていた。
その頃話を聞いてもらったある人に「自分の体感としては、突然ものすごい爆風に曝されて、気がついたら全身にガラスの破片が刺さっていた。今ひとつずつ、その破片を抜いていっている」と話したことを覚えている。

まぁ、そんな大変だった怪我の養生をしていた頃に、初めて「リンカラン」を手にしたのだった。

そこは、とにかく優しい世界だった。
悪意とか、他者への攻撃とか、不機嫌とか不寛容とか、そういったものと対照的なことだけがそこにあるように、慎重に選び抜かれた世界だった。
植物とか、長年使っている道具とか、手仕事とか、赤ちゃんのいる暮らしとか、仲の良い人々とか。

そうした優しい世界だけに触れているうちに、一年が経ち、拾う神が現れたりしながら、私は徐々に復活への道筋を辿っていったのだった。

引っ越しやモノの大整理を経て、雑誌もずいぶん処分したけれど、リンカランだけは今でも何冊か大事に取ってある。
時々読み返すたびに、あの頃の、ひっそりとした生活を思い出す。
リンカランは私にとって、じんわりと効く漢方のようなお薬だった。