「およその数」が分からない

日経新聞の夕刊に作家の村田沙耶香のエッセイが連載されていて、それが毎回けっこう面白い。

少し前は、道に迷ったときに「ぽい人」(同じ場所を目指してるっぽい雰囲気の人)について行ってしまう、という話があって、「分かる!」と一人で何度も頷いてしまった。

そして直近回は「算数苦手人間」。
あまりに自分と似ていて「やっぱいるんだ、こういう人!」となんだか嬉しくなった。

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小学校だったか中学校のときだったか、教科書に「およその数」という小さな単元があったのをよく覚えている。
たとえば「12012」なら「10000」とだいたいの数に丸めて、およその数感覚をつかんだり、計算したりするというもの。
小さな単元だったけど、これが実はかなり大事な数感覚で、自分に決定的に欠けているということに気づいたのは、30代も後半になってからだった。

夫は数感覚に長けていて、何でも数字で捉えようとする。
よく、夫の知らない町について話していたら「そこって人口どれぐらい?」と聞かれたりするのだけれど、さっぱり分からないし、「だいたいでいいから」と言われても全く見当もつかない。
だって「10万人」と「100万人」の違いがよくわからないのだ。

私は小さい頃から計算間違いが多かったのだけど、それもこの「およその数」感覚が関わっているらしいと、夫と話していて気づかされた。
出てきた答えがおかしいと気づくかどうかというのも、この感覚があるからこそ。
私にはその感覚がないから、「それはあり得ないでしょう」という答えを平気で書いたりして、いつも数学の先生には呆れられていたのだった。

数感覚って、音感と同様、ある程度は学習できるにしても、先天的な要素がすごくある気がする。