梅雨とデッサン

アジサイを見ると思い出す夏がある。

29歳か30歳の初夏から秋にかけて、時々デッサンを習いに行っていた。
散歩途中に偶然見つけた教室で、単発のレッスンが可能であること、一回の料金が2000円かそこらだったこと、そして何より、先生がフィンランド人というのに興味を引かれて、行ってみることにしたのだった。

先生の家は京都の哲学の道沿いにあって、アジサイスポットを通りすぎて少し行くと、先生の家だった。
とても古い長屋の一画で、入ると奥に細長い台所と洗い場があり、台所と反対側の狭くてギシギシ鳴る階段を上がると和室が三部屋あって、その時々で二人とか三人とかの生徒さんが黙々と自分の絵を描いているのだった。

梅雨どきの哲学の道は、山が近いこともあって湿気がものすごく、デッサンをする画用紙はいつも水分を含んでしんなりしていた。
デッサンの仕上げに吹き付けるフィキサチフ(と先生は呼んでいた)スプレーのシンナー臭い匂いや、休憩時に入れてくれるハーブティーの甘い匂いが、湿気をたっぷり含んだ空気に混じって、その和室特有の匂いを作っていた。

フィンランド人の先生は、いつも必ずどこかにいいところを見つけてくれ、うまくいっていないところは「こうするともっとこうなる」という言い方で別の紙に見本を描いて説明してくれて、決して直接手を入れたり、ダメ出しをしたりしなかった。
日本語がとても上手で、物静かだけれど明るい、お母さんのような女性だった。

今思っても、最高に贅沢で優雅な時間。
あの時間の記憶があるから、いつかまた、デッサンをやりたいなと思っている。


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