沖縄旅行記②(一日目 後半)

一日目はお昼を食べた後、島内を一周するように車でドライブ。

「ミーフガー」という、いかにも子宝スポットになりそうな形の岩がある名所があったので、立ち寄ってなむなむ。
波に洗われた岩場の感じが、波照間島の「最南端の碑」のところに少し似ていた。

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夕方は「久米島の久米仙」へ。
モニターで製造工程を見ながら、好きなだけ試飲できるというシステム。

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この日ドライバーだった夫は試飲をものすごく羨ましがっていたけど、好きなだけといっても泡盛をそんなにガブガブ飲めるわけもないので、各種ほんのひと舐めずつくらい試飲して、お土産を何本か購入してそこを後にした。

泡盛を初めて飲んだのは、確か21歳で初めて沖縄に行ったときだったと思う。
それまで飲んだどのお酒とも違う独特の風味に、「うわ、これは無理だ...!」と思ったのを覚えている。
それからしばらく、たぶん十年くらい、ずっと「泡盛は唯一飲めないお酒」だと認識していた。
それがこうして瓶ごと買って帰るまでになるのだから、ほんと、味覚って広がるもんだ。

泊まるホテルは夕陽が見えるのが売りのひとつなので、調べておいた日没時間に間に合うよう、夕方にチェックイン。
荷物を置いてすぐ、ホテルのビーチからつながる海岸に夕陽を見に行った。

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妊娠中に夫と行った、北海道のサロマ湖畔で見た夕陽に似ているなぁと思いながら見ていたら、夫が「なんかここ...あそこみたいだね」。
夫も同じことを思っていたのだ。

思わず、私の好きな歌人(であり生物学者である)永田和宏の、好きなエッセイを思い出した。

家族とは時間を共有するものの謂だと改めて思うのです。「あの時、あの海岸で」と言えば、すぐに「ああ、あの空」と帰ってくるような、そんな記憶の共有、時間があってこその家族なのでしょう。

「家族とは時間を共有するもの」。
私と夫はまだ一緒に暮らし始めて数年だけれど、こんな風に、同じ風景の記憶を共有してゆくのだな。