中国の花

数ヶ月に一度行く都心の病院へ。

今年は暖かくて、気がついたら春先の大好きな花、ハクモクレンが散りつつあったのだけれど、ここではちょうど満開だった。

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今年もこの花の盛りをちゃんと見られてよかった。

私がたぶん一番好きな作家である幸田文の随筆に、木蓮について書いた短い作品があった。
読んだのはもう随分前で内容もうろ覚えだけれど、幸田文が十代くらいの頃に、父露伴木蓮について交わした会話を書いた随筆だった。
文が木蓮の木を愛でていると、露伴が「この木はどこの国の感じがするか」というようなことを尋ねる。
文はいろいろな国を思い描いて、フランスのイメージに行き着き、露伴にそう答えるのだけれど、
露伴は珍しく文の言ったことを否定せず「それも悪くない」というようなことを言った後、「自分はこれは中国(支那)趣味だと思う」というようなことを言うのだ。
それを聞いた文は、父のセンス、その裏にある教養の深さに感銘を受け、見れば見るほど木蓮はフランスではなく支那趣味に見えてきた...というような随筆だった。

木蓮を中国っぽいと感じるそのセンスに、私も深く感銘を受けた。
確かに言われてみれば、木蓮は中国的な美しさだ。
その随筆を読んで以来、ハクモクレンを見るたびに思い出し、中国をイメージするようになった。

あれはなんという作品だったか。
久しぶりに幸田文が読みたくなった。

relive the pregnant days

コウノトリを待つこと約三年。
もうかなり難しいだろうなと思っていた矢先に、奇跡の授かりが起きたのだった。

初期流産が起こりやすいとされる12週が終わるまでの、長かったこと。
妊娠初期というのは、不安定な割に検診の頻度は月に一回と少ない。
それは、検診してもしなくてもダメなときはダメ、育つときは育つ、という時期だからなのだけれど、
異変が起きていても必ず自覚症状があるとは限らない時期に、お腹の中を確かめるすべもなく、毎日祈るように、けれどもできるだけ考えないように過ごす日々は、本当に落ち着かなかった。
つわりがほぼなかった息子のときと違って、今回はけっこうつわりに悩まされたのだけれど、つわりがあるからといって妊娠が継続されているとは言えないらしく、ますます確かめるすべもないまま、次の検診をただひたすら待つしかないのだった。

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ハイリスク高齢妊婦なので、出産は息子を産んだ大きな総合病院と決めていた。
検診は毎回かなり長時間待たされるのだけれど、またここに来られたことが嬉しくて、以前ほど待ち時間が苦にならない。

検診は夫が休みの日にしているけれど、一度息子を連れて一緒に行かなくてはならなかったときがあって、そのときに息子がキッズスペースで遊んでいるのを見たら、しみじみ感慨深いものがあった。
休憩スペースを兼ねたそのキッズスペースは、四年前、息子の妊婦検診のときによくボーッと外を眺めていた場所なのだ。
あのときお腹の中にいた子がこうして外に出てきて元気に飛びはね、かつて彼がいたお腹にやってきてくれた新しい子のために、同じ場所で今度は息子と二人で待っている。
それだけでもう、しみじみ幸せなのだった。

おそらく最後の妊婦生活になるであろう数ヶ月を、今度はじっくり、生き直すように味わいたいと思っている。

The pleasure of working

1月、2月、3月と、夫の友人を訪ねたり訪ねてきてもらったりすることが続いている。

今日は、夫の大学時代の友人二人(どちらも独身男性)が来てくれた。
前日に用事があったので、前々日あたりに仕込める料理ということで、大量のおでんを用意。

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関西のおでんには必ず入っている牛スジ。
関東人の夫は私が作るおでんで初めて牛スジに目覚めたらしく、友達にも食べさせたいということで、今回のメインは大量に茹でておいた牛スジ。
幸い好評で、大根よりも練り物よりも先になくなっていったので、大量に作った甲斐があった。
やっぱり男子は肉が好きなのだね。

二人のうち一人はおでんにジャガイモが入っていることに驚いていたのだけれど、驚いていることに逆に驚いた。
ジャガイモは入れるでしょう。(入れない?)
おでんの具で私が好きなものと言えば、大根、牛スジ、クタクタに煮たタコ、男爵のジャガイモ。
中高生の頃、お弁当におでんの残りが入っていると、かなり嬉しかったのを覚えている。

二人が帰った後、大量の洗い物を食洗機にどんどん入れては、仕上がったものを片付け、また次の食器を入れて食洗機を回し...をしていたら、小さい頃、家でたまにあった宴会の後片付けを思い出した。
うちはお客の少ない家だったけれど、それでもたまに、年に1回か2回、仕事関係の人や父の友人が来て、忘年会とか新年会をすることがあった。
そういうとき、食べ散らかし&飲み散らかした後の食卓を片付けるのが、私はけっこう好きだった。
いや、かなり好きだったと言ってもいい。
母と一緒に、普段は使わない大きなお盆に食器を次々と載せ、流しに運び、また食器を載せ、流しに運び、を何往復かする。
座卓の上がすっかり空になったら、台所用洗剤を染ませた台拭きで座卓を拭き、洗剤がなくなるまで何度も何度も台拭きを洗っては座卓を拭き、洗っては拭く。
そうして最後にはすっかり卓上がきれいになって、開け放った窓から新しい空気が入ってきて、お酒の匂いやこもった鍋の匂いが消えていくのが、とても気持ちよかった。
宴会はたいてい冬だったから、入れ替わった新しい空気の冷たさを覚えている。

その後、流しに運んだ大量の洗い物を片っ端から洗っていくのだけれど、それも私の大好きな作業だった。
洗い上がった食器を拭いて棚にしまう作業はあまり好きでないので、それは母にしてもらって、私はひたすらコップやおちょこや小皿やお箸をキュッ、キュッ、と洗っては流していく。
ひたすらどんどん洗っていくと、あんなにたくさんあった洗い物が、最後にはすっかりきれいになって洗いかごからなくなっていく。
その爽快感といったら。

今はもう、毎日の洗い物が全然好きではなくなってしまったので(たぶん一日に何度も小分けにしなくてはならないから)、その爽快感を久しく味わっていなかったのだけれど、
食洗機とはいえ、今日また大量の洗い物を一度に片付けていたら、久しぶりにあの爽快感を思い出した。
大量に作って大量に洗う、という作業には、核家族分の洗い物を何度も小分けにやる作業とは全く違う、豪快さや達成感があるのだ。

労働の楽しさっていうのは、きっとこんなところにあるのだと思う。

飢餓気分

ひょんなことから知った、吉村昭の『破獄』を読んでいる。

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吉村昭は一冊だけ『羆嵐(くまあらし)』を読んだことがあって、めちゃくちゃ面白かったのだけど、『破獄』もなかなか面白い。
太平洋戦争前後に実在した脱獄囚を描いた小説で、当時の刑務所事情が描かれている。

そういえばあまり考えたことがなかったけれど、戦時の刑務所というのは、想像を絶する困難さがあるのだった。
端的に、空襲で建物の破壊が起これば収監はできなくなるし、破壊までいかずとも破損ですら脱獄の原因になる。

そして戦時の食糧難。
一部舞台となっている網走刑務所は、農場を併設した全国でも有数の食糧に恵まれた刑務所だったらしい。
それでも、戦況が悪くなるにしたがって囚人が栄養失調で亡くなることが増えた。
栄養失調の原因は、主食の不足ではなく、野菜やたんぱく質といった副菜不足だったとか。

囚人の管理にとって食べ物はものすごく重要で、下手に減らすと暴動が起きるため、主食は一般の人々より多い量を与えられていたらしい。
でも、一般の人が野草やその辺の生き物を捕まえてなんとか栄養を補っていたのと違って、刑務所ではほぼ主食しか出てこなかったから、食べる量は確保できても、生きるのに必要な栄養が保てなかったのだ。

そのくだりを読んでいると、無性に野菜が食べたくなってきた。
ほんの少しの野草であっても、それがあるのとないのとでは生死に関わるんだ...と思ったら、こうして冷蔵庫にいつでも野菜が入っているのはなんとありがたいこと...。
危うく傷みかけた大根の葉っぱも、急いで大事に調理する私なのだった。

戦時の食べ物の話を読んでいると、毎食のごはんが本当に貴重。

半地下の家族

午前中に長い長い病院の受診を済ませたあと、せっかくのひとり休日なので、話題の映画を観に行くことに。
その前に腹ごしらえ...と、久しぶりのカフェへ。

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丁寧に作られた定食や、古い家具で落ち着いた雰囲気の店内が人気で、いつ行っても女性客で満席のお店だけれど、前回も今回も30分ぐらい待つ羽目になったので、さすがにしばらくはもういいかな...と思った。
ごはんは相変わらず美味しかったけど。

慌ただしく食べ終えて、開始時間ギリギリに映画館に到着。
前もってネットで買っておいたチケットを発券して席に着いたら、すぐにNo more映画泥棒が始まったのだった。

映画の前のCMと言えば、いまだに昔の大阪梅田の映画館を思い出す。
満席の大画面で流れる、居酒屋「やぐら茶屋」のCM。
平成10年代に入ってもまだ昭和50-60年ぐらいの粗いフィルムで、バブル期真っ盛りの化粧&服装をしたOLとサラリーマンが「ウッキッウッキットーキン♪」してる場面を、何百人で見させられる居たたまれなさといったら...。

あれに比べたら、No more映画泥棒はまだかわいい...といつも思うのだった。

さてさて、今回観てきたのは、今年のアカデミー賞受賞作。

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「韓国の格差社会を描いた...」ぐらいの情報しか知らずに行ったら、予想外のハラハラ場面続出の映画だった。
心臓に悪い...。
でも、おもしろかった。
上映中だから詳しくは書かないけど、お金持ちの奥さまがめちゃくちゃ可愛くて、それだけで得した気分になった。
あと、ところどころ韓国語が日本語に聞こえた場面があって、不思議。
似ている単語がけっこうあるんだろうなぁ。

見終わったあと、ジャージャー麺が食べたくなった。

スギ花粉はじめました

先週末から怪しいと思っていたスギ花粉が、今週になってドカンと来た。

 

都内で急に花粉が増えた日だった、というニュースを知ったのは夜になってから。

朝から一日外出しなければならなかったその日は、昼頃からもう鼻も目もヤバくなってきていたけど、用事と用事の間にお昼は食べなくてはならないので、このあいだ麻婆麺を食べたくなって出かけた中華料理屋へ向かったのだった。

麻婆麺欲 - 珈琲とsofaのあるところ

 麻婆麺と最後まで迷いに迷って、今度はもやしそばに。

これも熱々で美味しいのだ。

 

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しっかり腹ごしらえをした後は、役所関係の用事があったので、急いで地元の駅に戻った。

役所でちょっと長めの用事を済ませて外に出たら、もう春の夕暮れ前。

 

 

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風は強く空気は冷たく、だけど確実に春の(花粉の)気配がする。

こういうふとした景色が、後々になって思い出されたりするよな...と思いながら、家路を急いだ春の夕方。

夕陽の家

週末は、夫の元同僚夫婦の家へ。

数年前に購入したという一戸建てのおうちは、広々として、もうすぐ一歳になる赤ちゃんも存分に歩き回れそうだった。
私たちが来る前日に出したという、30ウン年モノのお雛様も。

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もう少し行けば茨城に入ろうかというそのエリアは、関西出身の私には全く馴染みがない土地で、こんな機会でもなければ訪れることもない。
降り立った駅には、東京とはまた違う、冷たくて乾いた強い風が吹いていて、あぁなんだろう、この風は今まで訪れたどことも違う、強いて言えば「北関東」って感じがする、と思った。

さびれ気味の小さな飲み屋街を抜け、しばらく歩くと校庭の広い小学校、そして新興住宅地。
東西の道沿いに並ぶ家のひとつが元同僚の家で、夕方になるときれいな夕陽が家の前を照らす。
子どもの名前は、その夕陽の色にちなんで付けられたのだと聞いて、そこに根差して暮らしていた、夫婦だけの何年間かの生活を想った。
毎日夕陽を見ながら帰ってくる、二人だけのつつましやかな生活を。

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帰りの電車からは、きれいな夕焼けと(写ってないけど)富士山のシルエットがくっきり見えた。
広い平野が延々と広がる、関東の風景。