『坂の途中の家』

保健師の知り合いに勧められて読んだ本。
読みごたえのある一冊だった。

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主人公は、乳児虐待事件に裁判員としてかかわることになった、小さい子を持つ主婦。
裁判経過に伴って自身の家族をふり返らざるを得なくなっていくのだけど、
そのふり返っていく過程の心理描写とか、被告である母親が追い詰められていく過程とかがすごくリアルで、子どもを育てていない作者(たぶんそうだよね?)が、よくここまで書けるなぁと感心してしまった。

「夫からのサポート」ということについて思うのは、「子育てのサポート」ではなく、あくまで「(子育てしている)妻のサポート」が求められているんだ、ということ。
「子育てのサポート」って言ってしまうと、直接的に子どもに関わればいいって勘違いさせてしまうけど、たぶんそうじゃないのだ。

子どもの直接的なお世話はもちろん助かる。
だけどそれは妻が求めている場合に限るし、もっと言えば、妻が求めているサポートが他のこと(妻が家で休めるように子どもを連れ出してくれるとか、自分の食事のことは自分でするとか)であれば、子どもの世話よりそちらの方が優先になる。

「運転の練習をしている人」のサポートに近いかもしれない。
代わりにやってほしいわけじゃない。
それよりも、道を一緒に確認してくれたり、話しかけてくれたり、余裕がない運転手の代わりに周囲の危険を確認してくれたり、時々マッサージしてくれたり、運転手が気づかず疲れているようだったら休む提案をしてくれたり、すると助かる。
そして、運転を代わってほしいときもあるから、そのために自分も運転はできるようにしていてほしい。
サポートする側が「時々は自分が運転したい!」ってなることもあるかもしれないけれど、それは「運転の練習をしている人のサポート」とはまた別物だと考えた方がいい。

そんな感じだろうか。

そう思うと、それも子育てに似ている。
子育ても、子どもの代わりに親がやってあげること、ではないもんね。

なんだかマトリョーシカ