『光の犬』を読み終わった。
帯にあった「読後、しばらく黙っていたくなる小説だ」という言葉そのままの、静謐な余韻が続いている。
大阪にParis hという大好きなパン屋があって、中でもドライフルーツやナッツが詰まっている系のパンが本当に美味しいのだけれど、
そこのパンを買っていつもびっくりするのは、その重さ。
とにかく「みっしり」している。
噛めば噛むほど、生地の味わいも、詰まっているフルーツの味わいも増す。
『光の犬』を読んでいる途中、何度となくそのParis hのパンを思い出した。
著者の他の本もそうだったけれど、本当に「みっしり」した小説だった。
読み終わって何週間か経ってから、不思議としばしばよみがえってくる部分がある。
産婆となった登場人物が、ある医者の元へ修行に行き、そこで医者に言われた言葉。
「音ははやさだ。はやさが音になるといってもいい」
妊婦に与える白湯を急いで持ってきた彼女に、妊婦が帰った後で医者が注意するのだ。
「分娩にもっともふさわしくないのは、はやさなんだ。 もちろん、分娩にかぎらない」
眠っている赤ん坊を起こすには、窓や障子をすばやく開け閉めするだけでいい。赤ん坊にとって、はやい音は不快である。
一歳の息子の昼寝をできるだけ引き延ばそうと、出入りする戸をそーっとそーっと開け閉めするとき、毎回のようにこの言葉を思い出す。
本当に、音ははやさだ。
そして、眠っている赤ん坊を起こすには、窓や障子をすばやく開け閉めするだけでいい。本当に。
描かれていた産院の風景は、静かで、ほの暗く、いかにも落ち着いてお産ができそうな場所に思えた。
もしもう一人産めることになったら、こんな産院で生んでみたい気がする。