川上未映子の最新刊『夏物語』を読み終わった。
ページ数もあるけれど、内容的にも、すごく読みごたえのある一冊だった。
川上未映子の小説は他にもいくつか読んだことがあって、中には不思議なくらい私の記憶に残らないものもあったのだけれど、『夏物語』は最初から最後までしっかり残り、結末にも深い納得感があった。
同時代にほぼ同い年として生きた大阪、が出てくるから、現実味があったのかもしれない。
でもたぶんそれ以上に、作り手が長いこと、深く深く考え抜いてきたことが、テーマになっていたからだろうと思う。
川上未映子のことを初めて知ったのはずいぶん前で、作家としてではなく、ラジオから流れてくる声だった。
2000年代の初め、京都のFMをよく聴いていた。
夜遅くに「マジカルストリーム」という番組があって、今はなきji ma maという私が好きだった女性ユニットが、ある時期の担当DJを勤めていたので聴いていたのだけれど、
ある晩ji ma maの担当時期が終わったことに気づかずマジカルストリームを聴こうとしたら、「ミエコ」という聞いたことのない女性歌手がしゃべっていたのだった。
普通ならそこでラジオを消すところだったのだけれど、そこで消すことができなかったのは、ひとえにその「ミエコ」のしゃべり方だった。
なんというか、ものすごく癖のあるしゃべり方で、すごいエネルギー、しゃべりたいことが満ち満ちてしゃべる速度が追いついていない感じ、芝居のように癖があって当時の私にはあまりついていける感じではなかったのに、独特のリズム感というかグルーヴ感があって耳が離せない。
「なにこれ?この人なんなの?」という感じで、耳が釘付けになってしまったのだった。
すぐにインターネットで調べてみたら「ミエコ」のHPが出てきた。
そこに載っていた詩をひとつ読んでみたら、文体がさっき聴いたラジオのしゃべり方そのままで、あぁこれがこの人のしゃべり方なんだ、と確認すると同時に、その詩に圧倒された。
それが「私はゴッホにゆうたりたい」という詩だった。
そこから数年後。
『わたくし率イン歯ー、または世界』という、奇妙なタイトルの小説が芥川賞候補になったというニュースを知った。
中身は読んでいないものの、その強烈なタイトルから、イロモノか、狂気じみた人が書いているのでは?と思っていた。
でもあるとき、そのタイトルの奇妙さがふと「数年前に聴いたあのラジオの人のしゃべり方」と重なって、調べてみたら「ミエコ」イコール「川上未映子」であることが分かり、深く納得、ようやく二人がつながったのだった。
そこからさらに数年後。
東京で暮らすようになった私は、あるとき、川上未映子がなぜかダイソンの製品を紹介する無料のトークショーに来るというのを知って(彼女がダイソンの愛用者だからだったらしい)、表参道で行われたそのトークショーに行ってみることにした。
川上未映子という人を、一度生で見てみたかったのだ。
実際に見た川上未映子は、なんとも独特だった。
独特としか言いようがない。
完璧な大阪弁の人が標準語で話しているせいもあったのかもしれないけれど、その標準語は舞台女優が台詞をしゃべっているような「作られた感」があり、立ち居振舞い、仕草も女優のようだった。
他の作家を生で見たこともあるけれど、他の作家は立ち居振舞いが自然で「一般人」であったのに対して、川上未映子ははっきりとそれとは違っていた。
それは、彼女が歌手をしていたこととも関係するのかもしれない。
標準語と大阪弁の違いはあれど、私が一番最初にラジオで接した「ミエコ」に通じる「芝居」感があって、あぁそうだった、と十年以上ぶりにその感じを思い出したのだった。
そこから気になって、川上未映子の本をちょくちょく読み始めたのだけれど、先にも書いたように、小説は不思議なくらい記憶に残らなかった。
記憶に残ったのは『わたくし率イン歯ー、~』と『乳と卵』ぐらい。
エッセイの方がラジオのあの口調に近い気がして、エッセイばかり読むようになった。
『夏物語』は、『乳と卵』のその後とも言える小説で、前半は『乳と卵』の拡充版のようになっている。
『乳と卵』はなんとなく、終わり方にあまり納得した覚えがないのだけれど、『夏物語』でようやく輪がつながって、完結したような気がした。
昔たまたま聴いたあのラジオがなかったら、私は表参道に川上未映子を見には行っていなかっただろうし、そうしたら意識して読もうとは思っていなかったような気がする。
あのラジオの「ミエコ」は、やっぱり強烈だった。