The pleasure of working

1月、2月、3月と、夫の友人を訪ねたり訪ねてきてもらったりすることが続いている。

今日は、夫の大学時代の友人二人(どちらも独身男性)が来てくれた。
前日に用事があったので、前々日あたりに仕込める料理ということで、大量のおでんを用意。

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関西のおでんには必ず入っている牛スジ。
関東人の夫は私が作るおでんで初めて牛スジに目覚めたらしく、友達にも食べさせたいということで、今回のメインは大量に茹でておいた牛スジ。
幸い好評で、大根よりも練り物よりも先になくなっていったので、大量に作った甲斐があった。
やっぱり男子は肉が好きなのだね。

二人のうち一人はおでんにジャガイモが入っていることに驚いていたのだけれど、驚いていることに逆に驚いた。
ジャガイモは入れるでしょう。(入れない?)
おでんの具で私が好きなものと言えば、大根、牛スジ、クタクタに煮たタコ、男爵のジャガイモ。
中高生の頃、お弁当におでんの残りが入っていると、かなり嬉しかったのを覚えている。

二人が帰った後、大量の洗い物を食洗機にどんどん入れては、仕上がったものを片付け、また次の食器を入れて食洗機を回し...をしていたら、小さい頃、家でたまにあった宴会の後片付けを思い出した。
うちはお客の少ない家だったけれど、それでもたまに、年に1回か2回、仕事関係の人や父の友人が来て、忘年会とか新年会をすることがあった。
そういうとき、食べ散らかし&飲み散らかした後の食卓を片付けるのが、私はけっこう好きだった。
いや、かなり好きだったと言ってもいい。
母と一緒に、普段は使わない大きなお盆に食器を次々と載せ、流しに運び、また食器を載せ、流しに運び、を何往復かする。
座卓の上がすっかり空になったら、台所用洗剤を染ませた台拭きで座卓を拭き、洗剤がなくなるまで何度も何度も台拭きを洗っては座卓を拭き、洗っては拭く。
そうして最後にはすっかり卓上がきれいになって、開け放った窓から新しい空気が入ってきて、お酒の匂いやこもった鍋の匂いが消えていくのが、とても気持ちよかった。
宴会はたいてい冬だったから、入れ替わった新しい空気の冷たさを覚えている。

その後、流しに運んだ大量の洗い物を片っ端から洗っていくのだけれど、それも私の大好きな作業だった。
洗い上がった食器を拭いて棚にしまう作業はあまり好きでないので、それは母にしてもらって、私はひたすらコップやおちょこや小皿やお箸をキュッ、キュッ、と洗っては流していく。
ひたすらどんどん洗っていくと、あんなにたくさんあった洗い物が、最後にはすっかりきれいになって洗いかごからなくなっていく。
その爽快感といったら。

今はもう、毎日の洗い物が全然好きではなくなってしまったので(たぶん一日に何度も小分けにしなくてはならないから)、その爽快感を久しく味わっていなかったのだけれど、
食洗機とはいえ、今日また大量の洗い物を一度に片付けていたら、久しぶりにあの爽快感を思い出した。
大量に作って大量に洗う、という作業には、核家族分の洗い物を何度も小分けにやる作業とは全く違う、豪快さや達成感があるのだ。

労働の楽しさっていうのは、きっとこんなところにあるのだと思う。