品うすの台所

買い出しの回数を減らすようになって(と言っても、コロナのせいというより、妊娠して自転車に乗れなくなったので、外出ついでに済ませたり、生協の利用回数が増えたため)、買い出し前は冷蔵庫の中身がだんだんと乏しくなってくる。

献立を予めきっちり決めて買い出しすれば良いのだけれど、たいていはスーパーで良さげな食材を見てから食べたいものを決めるので、3日分くらいのメニューしか決めずに買い物を済ませてしまう。

だから、4日目ぐらいになるとたいてい冷凍しておいたメインになりそうな食材を軸に献立を決め、なんとなく余った食材で副菜を作ったりして、次の買い物までを凌いだりする。

そういうときは本当にごはんを作る気がしなくて、たびたび「品うすの台所は働きづらい」という、昔読んだ言葉が浮かぶのだった。

 

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久しぶりに取り出して読んだ幸田文『台所のおと』。

二十歳くらいのときに初めて読んで、「この作品はきっと、年がいってから読んだ方がもっといいんだろうな」と思った通り、今読むと記憶以上に素晴らしく、あぁ、ほんとに名文中の名文だ...と思う。


主人公は小料理屋を営む初老の夫婦で、料理人である病気の夫佐吉に代わり、妻のあきが料理を担当しているところから始まる。

ある冬の夜、すぐ近所の会社で火事が出て、あきは佐吉に命じられてすぐに見舞いの弁当を作って届ける。

その翌日の台所を描いたのが、「品うすの台所」の場面なのだった。


台所はまた、あきを億劫がらせるだけの、品がすれをしていた。ゆうべの見舞に、ありものは惜しみなく使いあらしていた。

(中略)

品うすの台所は働きづらい。料理の材料はそれぞれに、時間を背負っているものだ。今日こしらえていいものもあれば、昨日から仕込んで今日使う二日の味もあるし、何ヵ月もの貯蔵の味もある。きょうのあきの台所には、二日の味がまるで欠けており、それは気おもくなることだった。

 

毎日食事の用意をする人は、きっとすごくこれに思い当たるところがあるんじゃないだろうか。

「昨日から仕込んで今日使う二日の味」は本当に大事で、それさえあれば今日のおかずはなんとかなる。

買ってすぐ茹でておいた葉もの野菜であったり、水切りしておいた豆腐だったり、戻しておいた干し椎茸であったり、タレに漬け込んでおいた肉だったり。


二日の味でなくても、野菜が単品だけしかなかったり、魚や肉はあるけど葉もの野菜を切らしていたり...というのが、買い出し前のうちの冷蔵庫。

そうなるともう途端に考える気力が削がれて、今日はレトルトカレーでいいや...とか、冷凍のギョーザでいいや...となってしまうのだった。


ストック品と生鮮品をうまく組み合わせて乗り切るために、乾物や缶詰をうまく使いこなすのが、今の私のちょっとした課題。