ゆっくりと動き出す日々

幼稚園の二学期が始まった。
家から5分の園バスのバス停まで、初めての赤子連れで外出。
あんなに猛暑だった8月がいつしか終わって、気温がだいぶ和らいでいる。
気がついたら、家の外に出るのは退院の日以来、約二週間ぶりだった。

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一学期はコロナ対策でバラバラだった各幼稚園の対応も、二学期からは一律9月開始になったのか、バス停付近には他の幼稚園バスを待つお母さんたちもいて賑やかだった。
すぐ近くには路線バスのバス停もあって、コロナ前と同じくらい満員のバスが通り過ぎていく。

あぁ、「社会」だ。久しぶりの「社会」がここにある。
と思った。

外に着ていく服装も、微妙にもう産前とは違う。
妊娠中、特に臨月はお腹が苦しいのと猛暑で同じワンピースばかり着ていたけれど、季節もお腹の大きさも変わったので、以前何を着ていたのかの記憶を辿るところから。
家では授乳しやすいよう、常にパジャマみたいな格好だし、授乳後はいつだって遠山の金さんスタイルだ(令和の今、遠山の金さんはもう通じないかもしれない)。
宅配が来たときだけ、パッとエプロンをつけてパジャマをごまかす。

出産からしばらくの間は、世間と隔離され、そこだけ時が止まったかのように同じことがリピートされる生活になる。
楽譜の「ダ・カーポ」みたいに、終わりまで行ったらまた始めに戻る生活が繰り返される。
赤子の成長とともにその生活が再び流れ出すのが、確か産後2ヶ月~3ヶ月頃だった。
再び生活が流れ出したと感じるのは外出したときで、妊娠前と同じような行動ーー電車に乗ったり、ふらりとカフェに入ったり、美容院に行ったり、ちょっとした雑貨を見たりするときだった。

けれど、今はコロナでそのどれもが元の通りにはいかないかもしれない。
そうすると、どのタイミングで「妊娠前の生活が戻ってきた」と感じることになるんだろう。

前回の出産後もそうだったけれど、産後、ホルモンの影響なのか「もう戻ってこない日々」への郷愁がやたらに強まった時があった。
その日々を想うと、急に涙が出てくるような(たぶんホルモンの影響だ)。
今回は、それに加えてコロナが重なって、「もう戻ってこない日々」がますます強調されてしまうように感じる時がある。
本当は「戻る」ことなんて人生にはあり得なくて、ただ「変わっていく」があるのだと、頭では分かっているのだけれど。