光浦靖子に叶えてほしい

光浦靖子に出版オファーが殺到しているらしい。

先日の「もうひとつの人生を回収」のインタビュー記事が、大反響だったとか。
それはそうだろう。
その後、辛酸なめ子との独身に関する対談記事もあって、それも偶然読んだのだけど、これもまた、とても共感できるものだった。


以下、「分かるなぁ...」と思ったポイント。

共感ポイント①
シングルは、「生きがい」「やりがい」を自分で作り出さないといけない

これは光浦靖子の言葉。
それを受けて辛酸なめ子も「ひとりだと、仕事を失っても生活保護や失業保険があるし、なんなら野垂れ死にしてもいいや、という方向に行ってしまうかもしれません。だから目標を定める必要がある」と言っていて、これも、分かる...と思った。

30代の前半、このことを痛切に思っていた。
仕事も私生活もそれなりに楽しかったし充実していたけれど、このままいつまでもはもたないな...と。
「年を取ると、だんだん自分だけのためには頑張れなくなる」と思うようになった。
そうなる前に、自分以外の大切な人、「そのためになら自分が頑張れる人」がいる状況を作っておかなくては...と。
そうしていろいろ考え、努力した結果が、今の生活なのだった。
もちろん、努力だけでどうにかなった部分はほんの一部で、半分以上は運だったのだけれど。

共感ポイント②
(パートナーについての希望)
辛酸 体臭がひどくない人がいいですね。
光浦 私は足音が静かな人。とにかく静かに暮らしたいから。
(中略)
光浦 ……と考えるとさあ、自立した女性と暮らすのが一番ラクなんですよね。自分で家事もできるし、決断力はあるし、病気でもヒーヒー弱音を吐かないし。やっぱり女性だな。

女性か男性かはさておき、パートナーに求めるものについての「具体性」「現実性」に深く共感。
若いうちは、「価値観が合う」とか「優しい人」といった抽象的な希望を抱きがちだ。
でも、一緒に生活するというのは、まずお互いがお互いにとって「邪魔にならない」というのがかなり重要だと思う。
それが体臭なのか足音なのか、家事能力なのかは人それぞれだけれど、つまりは「何が自分にとって耐え難いか」を知って、そこの相性が合う人を、パートナーとして選ぶのがいいんだろうなと思った。

共感ポイント③
将来、同世代の女性が集まって、手を動かしモノを作りながらおしゃべりができる場所、自分を肯定して働ける場所を作れたらいい

これも光浦靖子の言葉。
「手を動かしモノを作りながら」というところに、深く共感した。
おしゃべり自体が目的の場というのは、なかなか続かないものだ。
でも、手を動かしモノを作りながらするおしゃべりは、やることがあるから「しゃべらなくてもいい、聞いているだけでもいい」からこそ、自然とこぼれてくる思いがあると思う。
それが、ある種の気づきとか救いになったりするのだ。
あぁ、自分は最近そんなことを思ってたんだなぁ...とか、あぁみんなそれぞれに頑張ってるんだな、私も頑張ろう、というような。

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つい先日、「こういうやつよ、光浦靖子が言ってた『手を動かしながらおしゃべり』したいやつは。」と思った作業があった。
銀杏の皮剥き。

初めて銀杏の殻を剥き、茹でて薄皮を剥ぐ、という作業をした。
きっかけは、息子。
銀杏の実が食べられるというのを幼稚園で聞いてきたらしく、「ねぇ、ぎんなんってたべてみたい...」と何度か言うので、ちょうどスーパーで大量に安く売っていた銀杏を買ってきたのだった。
あんなに大変な作業とも知らずに...。

よく「茶封筒に入れて電子レンジで熱すれば簡単に剥ける」と聞くのを信じてやってみたのだけれど、あれは、少量の銀杏だけに通用する技だった。
茶封筒に入るのはせいぜい15-20個。
私の買ってきた銀杏は、数えてないけどゆうに200個はあったと思う(そのスーパーにはその量のパックしか売ってなかった)。
電子レンジにかけるにしても、熱いうちに剥かなくてはならないので、「封筒に入れる→電子レンジ→取り出して20個殻から出して、薄皮を剥ぐ(しかも時々割れてない殻をペンチで割りながら、熱々で火傷しないよう気をつけながら、火の通りが甘いものを選り分けながら)」という作業を、十回以上繰り返す気にはなれない。
電子レンジは早々に諦め、「ペンチでひたすら200個ぐらい殻を割る→ひたすら200個ぐらい殻から出す→一斉に茹でる→ひたすら200個ぐらい薄皮を剥ぐ」という作業に切り替えたのだった。

気づけば二時間。
ようやくなんとか「茹で銀杏」の状態にして、小分けにしてラップに入れ、冷凍したのだった。
あぁ疲れた...。

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こんな疲れる作業も、みんなで集まっておしゃべりしながらだったら、あっという間に楽しく終わっただろう。
光浦靖子に、ぜひそういう場を作ってほしいと痛切に思った日だった。