ゆきのひ、ココア

そろそろ園バスのお迎えの時間。
しばらく前から雨が降り始めた音がしていた。
場合によってはレインコートを持ってお迎えに行かないとな、どのくらい降っているか見てみようと窓を開けたら、まさかの雪になっていた。

レインコートを持って、バスのお迎えへ。
近くの公園の地面は既にうっすらと積もり始めていて、水分が多いから止んだらすぐに溶けそうではあったけれど、しばらくは止みそうになかった。

バスから降りてきた息子はやっぱりいつになくテンションが高く、遠回りして帰りたいと言う。
「じゃあ、一回帰って荷物を置いて、長靴に履き替えてから、ちょっとだけ遊ぼうか」と言うと嬉しそうに「うん!」
出直してほんの20分ほど、足跡がつく程度に雪の積もった場所で、息子は手を真っ赤にしながら雪玉を作って楽しそうだった。

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「そろそろかえる」と自ら言い出した息子の手はものすごく冷たそうで、小さい頃、寒すぎたときに指がパンパンに腫れるようになった現象を思い出した。
痒くはないから霜焼けとは違う、あれはなんていうのだろう。

家に入るとすぐに濡れた上着を脱がせ、洗面器に熱いお湯をなみなみ張って、手首まで息子の手を浸した。
「はぁ~、あったか~い!」と笑顔になる息子。
そのまま手を温めている間に、新しい着替えやタオルを用意。
温まった手を石鹸で洗わせた後、お風呂場に連れていき、湿った靴下とズボンを脱がせて今度は足を温める。
温まった足を石鹸で洗って、乾いたタオルでしっかり拭いて、新しい服に着替えさせる。

ひとつひとつの工程毎に息子が暖かく快適になっていくのが分かって、なんだかふと、初めて「お世話する楽しさ」みたいなものを味わった気がした。
これまでもずっと世話はしてきたけれど、そのこと自体に「楽しさ」を感じることって、私の場合そんなになかった気がするのだ。
こうして、「ひとつひとつの工程毎に息子が快適になっていく」のが目に見えるお世話をすると、「楽しさ」が感じられるんだな。

手足をきれいにして着替えた後は、身体を中から温めることにした。
「こんな寒い雪の日には、ココアを飲むのがいいと思うんだよ」と息子に提案すると、「ココア、いいねぇ!」
息子は笑顔でぴょんと跳ねた。

お鍋に牛乳を入れて弱火で温め、チョコレートシロップを少しずつ入れながら長いスプーンでかき混ぜていると、懐かしい匂いが漂ってきた。
私がちょうど今の息子ぐらいの年の頃、一時期祖母と同居していて、幼稚園から帰ると毎日ココアを作ってもらっていたのだ。
茶店をしていた祖母はいつもだいたい厨房にいた。
姉と二人で自宅から厨房へつながる扉をそーっと開けて、今お客さんが立て込んでいないか伺っていると、祖母が気づいて、コップをちょうだい、と手を出してくれるのだ。
姉とお揃いのキティちゃんの子どもマグカップを2つ渡すと、今の私と同じように、祖母はお鍋に牛乳を入れてココアを作ってくれた。
甘~い香りと共に、金属製の長いマドラースプーンが雪平鍋に触れるザーッ、ザッ、という音を覚えている。
電子レンジで温めるのでなく、たまにお鍋でココアを作りたくなるのは、たぶんこの匂いと音を覚えているからだ。

息子は大きくなったとき、私がココアを温めていた風景を思い出してくれるだろうか。