おばあちゃん先生を想う春

三寒四温

梅が咲き、花粉が飛び始めたと思ったら、夜はしんしんと冷えて、朝は立派な霜柱が立っていた。
いつもより10分早く家を出て、息子と霜柱を踏みまくりながらバス停へ向かう。

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先週から怪しかった花粉センサー(私の鼻)がついに危険域に入り、くしゃみ鼻水目の痒みが一気にどどっとやってきた。
去年はコロナ&妊娠初期でほとんどこもりきりだったから、なんとか薬なしで乗り切ったのだけれど(放置とも言う)、今年は幼稚園も始まって外に出る機会も多く、何より時節柄くしゃみは周りに脅威なので、久しぶりに耳鼻科に行くことにした。
一から検査して云々...とやっていると時間がかかるので、ちょっと遠いけど引っ越し前に通っていた耳鼻科まで行って、授乳中でも飲める薬を処方してもらった。

とりあえずこの春を乗り切れば、今年こそ「舌下免疫療法」を始めたいと思っている。
発症して十年余り、年々ひどくなる私のスギ花粉症は、かなりの重症域に達している。
数年前に舌下免疫療法が保険適用になったとき、一度聞きに行ったことがあるのだけど、数年がかりの治療なので妊娠を希望しているならそれが終わってからの方がいい、と言われたのだ。
出産後体質が変わることもある...というわずかな希望も、先週の花粉センサーで完全に打ち砕かれたので、いよいよ今年中のいつか、授乳が終わったら始めようと決意をあらたにしたのだった。

花粉症で初めて耳鼻科を受診したのは、発症して数年経ったある春のことだった。
東京に引っ越してきて実質最初の花粉シーズン、たまたま近所にいい感じの耳鼻科を見つけて、ものは試しと行ってみたのだ。
私は医者の当たり外れにけっこううるさい。
というか、嫌な医者に当たって嫌な思いをするのが嫌すぎて(←どれだけ「嫌」なんだ)、下手な医者に行くぐらいなら...と、それまでは市販薬で乗り切っていたのだ。

新しく見つけたその耳鼻科は、かなり高齢のおばあちゃん先生が一人で切り盛りしていて、口コミでは子どもにも人気と書いてあった。
行ってみると、確かに高齢の、真っ白な髪のおばあちゃん先生だったけれど、とても明るく大きな声の先生で、長年働いているらしい看護師さんたちも全員感じが良かった。
「これは、稀に見る当たり医院だ...」と直感した通り、嫌な思いをすることが一切なかったその耳鼻科には、それ以来風邪のときにも内科ではなくそこに通う、やっと見つけたかかりつけ医になった。

しかし、幸せなかかりつけ医は長くは続かなかった。
通い始めて二年目の春は問題がなかった。
ところが、三年目の春、久しぶりに受診したら、どうも先生の様子がおかしいのだ。
「鼻水は出る?」「出ます」と答えた30秒も経たないうちに、また「鼻水は出る?」と訊かれたのだ。
まぁ、忙しそうだし気のせいかも...と思うことにしたのだけれど、二週後にまた行くと、そのときも同じようなやり取り。
しかも、看護師さんが時々「先生、これ...」と薬の処方について指摘しに来たりしている。
これは、もしや...ご高齢すぎるのでは...。
手元には患者が分かるほどの狂いはなかったものの、会話には明らかに違和感があった。
控えめに、でも強く先生をサポートする看護師さんたちの様子も見ていると、あぁ、たぶんこれは誰かが引退を勧める必要があるけれど、先生の性格上、なかなか受け入れてもらえなくて皆が困りつつある...という状況なのだろうと察せられた。

次の春。
もしかして今年はもうやっていないのではないだろうか...という予感通り、事前に開院時間を調べたGooglemapには「閉院」の文字があった。

最後の引退勧告は、おそらく息子さんだったのではないか。
先生の息子さんは優秀な耳鼻科医になって、今は最前線で働いていると、あるとき先生が自慢気に話していたのだ。
最後に受診した春、もしかしたらもう来年のチャンスはないかも...と予感して、その息子さん宛に書いてもらっておいた「舌下免疫療法」の紹介状は、その後私が遠くに引っ越してしまって、ついに使われることはなかった。

ご存命なら90にはなっているだろうおばあちゃん先生の、その時代に女医になり、息子も一流の医者に育て上げ、高齢までバリバリ働き通した人生に、今も時々思いを馳せる。
ハキハキした大きな、いかにも「江戸っ子」という感じで威勢よく話す声が、耳の奥に残っている。
大人になって受診した病院の中で、間違いなく一番好きな先生だった。