十年の後

赤子を抱っこしてゆらゆらしながら幼稚園バスを待っていると、防災無線特有の、あの聞き取りにくいアナウンスがあたりに響いてきた。
「黙祷」と言っている。
時計を見ると、14:46になろうとしていた。

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十年前の今日は金曜日だった。
当時、金曜日は毎週関西で仕事だったからよく覚えている。
仕事中だったせいか関西だったせいか揺れには全く気づかず、地震のことを知ったのはたぶん17時半頃で、教えてくれたのはたまたま会った後輩だった。
今思うとその時刻までネットを見ることがなかったのが不思議な気がするけど、とにかく後輩が「え?!何も知らないんですか?!」と驚いていたのを覚えている。
私の中で、だからその後輩は「あの地震を最初に知らせてくれた人」として記憶されることになった。

そこから記憶は夜に飛んで、当時定宿にしていたゲストハウスの、ロビーのTVを見ている場面ばかり覚えている。
津波の映像が何度も何度も流されているのを、一人呆然と見ていた。
時折、同じ宿に泊まるインバウンドとおぼしき若い人たちも、立ち止まって津波の映像を見ていた。
「9.11」の飛行機が突っ込む場面と同じく、今はもうなかなか流されない、衝撃的な映像だった。

自分自身のことで言えば、当時働いていたある地方都市から東京へ、あの震災の直前に転職が決まったのだった。
とても急な話で、直属の上司に退職したい旨を急いで告げた直後だった。
誰にも言わずに決めた転職だったから職場は大混乱に陥ったし、それを覚悟で決めたとはいえ、とにかく神経をすり減らす数日の後の、あの震災だった。

津波の後、原発の問題が徐々に明らかになってくるにつれ、本当に予定通り転職できるのか、だんだん不安になってきた。
転職先に問い合わせても返事がしばらく来ず、現職場には退職を伝えてしまっているし、最悪失職することもあり得るのではないかという状況。
まるで、踏み出した足元で地面が地割れして、片足ずつ足を載せているようだった。
結果的に転職はできたけれど、もしあの地震があと数日早かったら、私は上司に退職を切り出さず、ひっそりと転職を辞退していたかもしれない。
そうしたら、もう東京には来ていなかったかもしれない。
いつか転職はしたかもしれないけれど、東日本には行かなかった可能性は大いにあるから。
そうしたら今の夫と結婚することはなかったし、この子どもたちに会えることもなかった。
そう思うと、震災に直接遭ったわけではない私にも、あの地震は大きな節目だったのだ。

あのとき転職した職場は長からず去り、次の職場は妊娠を機に円満退職した。

震災から十年後の14:46、二人目の子どもを抱っこしながら幼稚園バスを待っているとは、全く想像していなかった。