すいそんさんかくしゅきのかぜ

中3だったか高1だったか、漢文の授業で習った漢詩を、春になるとよく思い出す。
「江南(こうなん)の春」という、春の情景を描いた詩。
何度も音読させられたのと、
習ったのが春、ちょうど3月頃で、授業で解説された情景のイメージがずっと記憶に残っている。

千里鶯啼緑映紅
せんりうぐいすないて みどりくれないにえいず
水村山郭酒旗風
すいそんさんかくしゅきのかぜ
南朝四百八十寺
なんちょうしひゃくはっしんじ
多少楼台煙雨中
たしょうのろうだい えんうのうち


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息子が春休みに入るのを待って、早春の旅をしてきた。
ちょうど桜前線を少し遡るように動いたから、行く先行く先にいっぱい桜が咲いていた。

幼稚園に入ったことで、「学年」というものが意識される暮らしがまたやってきた。
春休みというのは特別で、夏休みとも冬休みとも違う、心もとなさがある。
それはちょうど学年の境目だからで、最終学年の春休みともなると、小学生でも中学生でもない、中学生でも高校生でもない、一瞬のエアポケットが生じる。
その、独特の浮遊感が好きだ。
束の間の、何者でもない感じ。

「すいそんさんかくしゅきのかぜ なんちょうしひゃくはっしんじ」と唱えると、あの頃の浮遊感が蘇ってくる感じがする。