嘘をつくセンス

エイプリルフールになると、毎年思い出すことがある。
まだ学生の頃。
私は嘘をつかれた方で、見事にすっかり騙されたのだけれど、それが嘘だと分かってとてもとても嫌~な気持ちになった。
私ともう一人、同時に騙されたけっこう年上の友人がいたのだけれど、彼の方はさらにダメージが大きくて、私は人の好いその彼に一瞬でもそんな深刻なダメージを与えたことも許せなかった。
嘘をついた友人たち(うち一人とはふだん仲が良かったけどその後しばらくギクシャクした)に悪気はないのは分かっていたけれど、それ以来、エイプリルフールに「ついていい嘘」とはどんな嘘なのかについて、毎年なんだか考えてしまうようになった。

そもそも、エイプリルフールに嘘をつかなくてはならないわけでなし。
だけど全否定するほどのことでもない。
ただ、最低限守らなくてはならないマナーというのもあるはずだ。
それが、人を傷つけないこと。

毎年いろんな嘘に接して、「ついていい嘘」とはどんなものか分かってきたことがある。
たとえば、「嘘で良かった」と思える嘘であること。
逆に言うと、人をぬか喜びさせるような嘘はついてはいけない。
それから、比較的すぐに確かめられる嘘であること。
長時間、人を騙してはいけない。

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最近は、SNSでエイプリルフールに「結婚します」系の発表を見ることがちらほら増えた。
嘘ではなく本当のことを、エイプリルフールにかこつけて発表する、という体のもの。
あれはなかなかうまい方法だなと思う。特に、それでショックを受ける人がいるかもしれないことに対しての。
「本当だったら衝撃的な真実(嘘であってほしいこと)」を、ワンクッション置いてから受け止めさせてくれる、エイプリルフールのうまい使い方だ。

冒頭の、学生の頃につかれた嘘は、「子どもができたので結婚します」というものだった。
人の生死に関わることで嘘をついたのは、やっぱり友人たちが幼かったと言うべきなんだろう。

二十年前の、苦い思い出。