最後とは知らぬ最後

次男の誕生祝に夫の上司からもらった、秋冬用のお洋服。
ほとんどすべての服がお下がりの次男にとっては貴重な「次男専用」の服で、どんなに長男と似ていても、これを着て写っている写真は「これはふくちゃんだ」とすぐ分かるのだった。

このところだんだん暑くなってきて、出番が減ってきた。
それでも夜中から朝方は寒いことも多いから、なんだかんだと着せていたのだけれど、昨日洗濯を取り込みながらふと「もうこれもそろそろ暑いかな」と思った。

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次の秋にはサイズアウトしているだろう。
とすると、この洗濯の直前に着た日が、この服を着る最後の日だったのだ。

最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て
              俵万智『未来のサイズ』

どんなに意識していても、最後の日は突然やってきて、そして終わった後に気づく。
お気に入りのお洋服も、卒乳の日も、ベビーカーに最後に乗った日も。

まさに、子育てはその連続なのだ。これからも。