ゆりの匂いと、春の葬儀

部屋中にゆりの花の匂いがしている。
知り合いがボランティアで管理する花壇に、いつだったか息子を誘ってもらって植えた球根が花を咲かせ、せっかくだからと何本かを切ってくれたのだ。

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ゆりの花の匂いを嗅ぐと、いつも思い出す悲しい別れがある。

大学で同期だったTさんが脳出血で急逝したのは、私がまだ学生だった、20代の前半だった。
Tさんは社会人編入した年上の男性で、なんとなくウマが合い、よく一緒に行動していたのだ。

Tさんが亡くなったのは木曜日だった。
なぜそれを覚えているかというと、連絡が来たのが金曜日だったからだ。
当時金曜日に行っていたバイトの帰り、通り道にあるハーゲンダッツでアイスを食べていた私に、それほど親しくない同級生から突然電話がかかってきた。
めったに使われない連絡網だった。
「落ち着いて聞いてね」という前置きの後に伝えられたのが、Tさんの急逝だった。

その後のアイスの味は覚えていない。
私はふらふらと店を出て、たぶん駅に向かおうとし、でもそのときふと、すぐそばにある古本屋のことを思い出した。
Tさんはその古本屋で不定期のバイトをしていて、私も一度だけTさんに誘われ、そこで助っ人のようなバイトをしたことがあったのだ。

私は吸い寄せられるようにその古本屋に入って行って、番台みたいなところに座っていた店主のおじいさんに、かくかくしかじかで...とTさんの訃報を伝えた。
たぶん、Tさんのことを知る誰かに知らせることで、地に足をつけたかったのだと思う。
私が伝えなかったらおそらくここには誰も知らせない、Tさんは無断欠勤の汚名を着せられた挙句、お店からの連絡にも出られず、Tさんの奥さんがだいぶ後になって悲しい電話をすることになる...となぜか咄嗟に思ったのだ。

訃報を伝えたときの店主の顔は、今でも忘れられない。
めったなことでは表情が変わらないいかめしい老店主は、みるみる目を見開き、文字通り驚きのあまり絶句した。
無理もない。Tさんは、まだ30歳そこそこだったのだ。

その後まもなくTさんの実家で営まれた葬儀には、ゆりの花の匂いが充満していた。
4月も後半だというのに、寒の戻りの、冷える日だった。
読経も仏花もなく、代わりにTさんの好きなクラシックの曲が流れ、白いカサブランカがたくさん飾られた中で、私は喪服のワンピース一枚に震えながら出棺を待っていた。
Tさんの実家は傾斜地に建っていて、たまたま上の方に立っていた私は、下に並ぶ大勢の人の中に、ふいにあの老店主の顔を見つけた。
前日のお通夜では見かけなかったけれど、彼は老体で二時間かけて、Tさんの最期に立ち会いに来たのだ。
深い悲しみと、なぜ...という疑問の混じり合ったその顔を、やっぱり知らせてよかった、ちゃんとお別れに来てもらえた...と思いながら見つめていた。

亡くなる前のTさんにかかっていた負荷の大きさを、今なら十分理解できる。
あれ以来私は、「人は簡単に死ぬ」と思うようになった。
いくら若くても、持病がなくても。
大きな負荷がかかれば、本当に人は、死ぬときには死んでしまうのだ。

Tさんの年齢を大きく超えて、いくつかの危機を切り抜けて、今なお死なずにいる私は、ゆりの花の匂いを嗅ぎながらTさんのことを思い出している。