夫の見たヴィジョン

うちの夫はいわゆるリアリストで、「実体のあるもの」に関心があるタイプだ。
普段はITとか経済とか何かの技術とかの話が多く、本も実用書とかビジネス書ばかり読んでいる。
スピリチュアルとか精神世界とか夢のお告げとか、そういう世界とはかなり縁遠いところにいる人なのだけれど、その夫が、一度不思議なことを言い出したことがあった。
二人目の子どもがなかなかできなくて、病院に行ったり、あちこちの子宝祈願スポットに行ったり、していた頃のことだ。

一人目をすぐに妊娠したから二人目もすぐにできるだろう、と思っていたらそんなことは全然なく、年齢的にも数値的にもけっこう難しいことが分かってきて、時間やお金やエネルギーを吸い取られていく日々だった。
毎日寝起きに基礎体温を測って、体温が下がり始めると「今回もダメか...」と落胆し、生理が来るたびにダメージを受け、私はだんだん希望が持てなくなっていっていた。
晩婚ですぐに一人授かっただけでも幸運だったんだ、このままこの子だけに注力していこう、こうしてエネルギーを吸い取られて一番可愛い時期に向き合ってあげられない方がよくないし...などと私は思い始めていたのだけれど、夫はなぜかあまりテンションが変わらず、それどころか時々確信をもって「絶対二人できる」と言うのだ。

最初は私を励ますためだと思っていたのだけれど、あるとき東京オリンピックのニュースを見ていたら、夫が「これにみんなで行くんだよ。まるちゃんともう一人を連れて」と言い出した。
まぁそうなったらいいけどね...と話半分に聞いていたら、夫が「なんか...見えるんだよね」と言い出した。
え?見える?
「何それ?夢で見たとか?」と聞き返すと、「いや、そういうんじゃないんだよ。夢とかじゃなくて、こう...」と目の前に手をかざしながら、「見えるんだよ。東京オリンピックに、まるちゃんともう一人、赤ちゃんか幼児かははっきりしないんだけど、四人で行ってるところが、画像として見えるんだよ」と言うのだ。

普段そういうことを言い出すタイプではないだけに、私はかなり驚いた。
もしかしたら夫のことを誤解していたのかもしれない、とすら思って「え?そういうことって他にもあるの?」と聞くと「いや、他にはないけど」と言う。
「だけど、その絵というか、画像というか、ははっきり見えるんだよね」。

普通だったら眉唾で聞く話なのだけれど、それを言う夫の口調があまりにも「普通」というか、平坦というか、「事実」の話をしているみたいだったから、私はなんだか逆に安心してしまった。
スピリチュアルとかお告げとかに関心あるタイプではない人が、こんな妙な確信を持って言い出すんだから、もしかしたら本当にそういうことってあるのかもしれない、少なくともまだ希望を捨てないでいてもいいのかもしれない...と。
夫のその訳の分からないヴィジョンは、根拠がないだけに一筋の希望になって、当時の私を時々勇気づけてくれた。

そして、2019年の初夏。
私自身は東京オリンピックにあまり積極的ではなかったのだけれど、スポーツ好き&イベント好きの夫が応募したオリンピックの激戦チケットが、なんと二種目も当たった。
夫はもちろん4人分のチケットを応募していたから、それを聞いたとき、チラッとあの夫のヴィジョンみたいなものを思い出したのだけれど、2020年のオリンピックに連れて行けるぐらいの年の子どもなら、もう妊娠していないといけない。
その頃再び妊活に疲れていたこともあって、「やっぱりあれは単なる希望的イメージだよね...」と内心苦笑しつつ、二人目を半ば諦めかけていたその年の暮れ、まさかの妊娠が発覚したのだった。

予定日は8月。
東京オリンピックは7~8月。
無事生まれたとしても、猛暑のオリンピックに一緒に連れて行ける月齢ではない。
でも、夫と長男が会場に見に行って、私と赤ちゃんは家のTVで見る、ぐらいならできるだろう。
ということは、夫のあのヴィジョンは、半分は当たったと言えるのかもしれない。

そんなことを思っていたら、2020年の春。
なんと東京オリンピックが一年延期された。
延期されてもチケットは有効という。
これはまさか、夫のヴィジョンが本当に現実化するのでは...と、このときはさすがに私もちょっと鳥肌が立った。
東京オリンピックを見に行くことにあまり積極的ではなかったけれど、これはさすがに、家族四人で見に行くべきなのかもしれない。
だってあの、夫の不思議なヴィジョンが本当に現実になるのだから。

そこから一年あまり。
オリンピックにまつわる二転三転、度重なるコロナ対応不手際からの無観客開催は、周知の通りだ。
当選チケットは無効となり、有効だったとしても行く勇気はないほどの悲惨な感染状況となった。

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長男が昨日ニュースを見て、いつのまにか描いていた絵。

東京オリンピックが開かれる夏、夫が見た四人の家族は現実になった。