年越し雑感

次男を産んだ頃ぐらいからだったか、夢の中で、生まれ育った家のメンバーではなく、今の夫や息子がデフォルトの「家族」として出てくるようになった。
あぁ、私にとっての属する家族は完全にここになったのだな...と感慨深く思ったのだけれど、それはここしばらく、「家族」について考える機会が何度かあったからかもしれなかった。

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先月見た劇場版「きのう何食べた?」では、年末年始を誰とどう過ごすか、すなわち「その人にとっての『家族』は誰か」がひとつの大きなテーマになっていた。
「結婚」という形を取れないゲイのカップルであるシロさんとケンジは、同棲を始めて以来、年末年始を誰とどう過ごすか、毎年思い悩む。
一人息子であるシロさんは年老いた両親のいる実家に毎年帰るのだけれど、両親にはいまだにゲイであることを十分には受け入れられていなくて居心地が悪いし、一人で年越ししているケンジのことも気になっている。
昨年(ドラマ版)は思い切ってケンジを実家に連れて行ったのだけれど、今年はさてどうするか...というのが、劇場版のひとつの山場になっていた。

それを見ていると、分かるなぁ...「結婚」していないとなかなか世間的に独立しているとみなされないというか、帰る家が実家と思われていて当然、みたいなところがあるよなぁ...と、独身の頃の年末年始の所在なさを久しぶりに思い出して、しんみりした。

私が学生時代を終えてまもなく、家族の中で自分にとって一番近い存在だった姉が結婚し、子どもを産んだ。
そのあたりから、年末年始は姉のいる場所に合わせて、実家だったり姉の家だったりで過ごすようになった。
そのうちだんだん、もともと居心地の良いとは言えない実家で貴重な年末年始の休みを終えるのがどうも腑に落ちなくなり、本当は旅行に行きたいけれどお正月料金は馬鹿高いし一緒に行く人もいないし(たいていみんな帰省している)、かといって心置きなく過ごせる場所もなく、年末年始の行く先難民と化した数年間があった。
長いこと姉の家にお邪魔するのが恒例化していたのだけれど、一時期姉一家が海外赴任となって、行き場に困ってしまったのだ。

そのときに救ってくれた(?)のが、十代からの親友の実家だった。
彼女の家は昔から人の出入りが多く、年末年始ともなれば家族の友達や仕事関係の人が頻繁に出入りして、面子が揃えば麻雀大会が始まったり、家族以外の人が酔い潰れてしまっても寝かせておいてくれたりするという、なかなか稀有なおうちだったのだ。
昔の大家族の家はもしかしたらそんな感じだったのかもしれないけれど、核家族に育った私にはいつも新鮮で、彼女の家で過ごす年末年始はあたたかく、居心地が良かった。
私が年末年始の過ごし方に困っていると知った彼女は、毎年さりげなく「うちで良かったら泊まりに来て」と声をかけてくれ、その言葉に全面的に甘えて、本当に図々しく家族に混じっておせちをいただいたり、近所に除夜の鐘を鳴らしに行ったり、していたのだ。

それは、いま思い返しても心暖まるひとときだった。
年末年始の底冷えと、お母さんが大鍋で作る料理の匂い、誰かによって次々開けられるいろんな銘柄のお酒の匂い。
そんな何年かを過ごした後、夫と出会って結婚し、難民生活にようやく終止符が打たれたのだった。

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今年は結婚して七回目の年越しで、これまでの六回を数えてみたら、夫の実家方面を回ったのが二回、私の実家方面を回ったのが二回、そのどちらでもなく自分たちの家で過ごしたのが二回、と、ちょうどきれいに1/3ずつ分かれていた。
自分たちの家で過ごしたのが直近の二回で、それは次男妊娠初期だったのと、コロナ禍真っ最中だったからそうなったのだけれど、たぶん今年も年越し帰省はせず、自宅で過ごすことになりそうだ。
去年、物心ついて初めて自宅で年越しをした長男は、いつもと違うお正月の雰囲気にとても喜んでいて、「まるちゃん、ふゆがいちばんすき。クリスマスもあるし、おしょうがつもあるから」と言って、冬が来るのをずっと楽しみにしていた。
子どもの頃特別な時間だった「うちのお正月」を、今は私が子どもたちに作ってあげているのだなと思うと、感慨深い。
子どもたちが将来思い出すであろう「うちのお正月」は、どんなお正月になるだろうか。