近づく卒乳

次男の離乳食も完了食と呼ばれる段階になり、栄養のほとんどは母乳やミルクではなく、食事から摂るようになった。
母乳は夜中に起きて泣いたときや、日中眠くてぐずっているときのみになり、気づけば丸一日以上あげない日も出てくるようになった。
次男自身も、与えられれば喜んで飲むけれど、自分から積極的に求める、という感じでもなくなって、他の何か(おやつ、抱っこ)でも代替がききそうな感じ。

だからやろうと思えばいつでも卒乳はできそうなのだけれど、人生でもう授乳することはないだろうなと思うと、私の方が名残惜しくて、細々と授乳を続けているのだった。
お酒が飲めなくても、夜中に多少寝不足になっても、いつか拒否される日が来るのだから、それまでは...と。

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もう使うことはない授乳室。
三食離乳食になるまでは、外出先のどこに授乳室があるか、どこの授乳室が充実しているか、何度も調べて頭に入っていたものだった。
長男のときはミルクだったから、ミルク用のお湯のサービスがあるかどうかも大事なポイントだった。
おでかけする街のショッピングモールの授乳室、新幹線に乗るときの東京駅近辺の授乳室、大きな駅付近の授乳室は、いつでも使えるように必ず複数調べていた。
これまで使ったいろんな授乳室を覚えている。
都会であるほど、そして新しい施設ほど授乳室は充実していて、いろんな施設の授乳室を見るのは楽しかった。
使うのは人生のほんの一時期だけれど、もう使うことはないのだと思うと、無性に淋しい。

授乳というのは本当に一時期で、短ければ数ヶ月で終わってしまう。
それなのに、その数ヶ月にいろんな思い出が詰まっている。
母乳外来に通いながら苦労して母乳が出るまで漕ぎつけたこととか、授乳の前後に赤ちゃんの体重を計ってどれくらい母乳を飲めているか確かめた日々とか、仕事の復帰時期が近づいてきて、搾乳がうまくいくのか不安になったこととか。
どれもこれも、たった二、三ヶ月後にはもう状況が変わってしまうことなのに、真剣に悩んで、試行錯誤して、一生懸命だった。

「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆく その連続と思う子育て」という俵万智さんの歌を、このところ授乳のたびに思い出している。
毎回、「もしかしたらこれが最後の授乳になるのかもしれない」と思いながら。