人生にいつもあるとは限らないもの

何ヵ所かで見て気になっていた本が図書館にあったので借りてきた。
上田信治という人の『成分表』。
表紙がマヨネーズ。

まだ読み始めたばかりなので分からないけれど、なんだか不思議な雰囲気のエッセイ集だ。
著者が俳人ということもあるのかもしれない。
散文なのに、詩集とか写真集みたいな雰囲気がある。

最初の一篇に出てきた一節に、早くも心奪われてしまった。

それは人生に、いつもあるとは限らないものだ。

分かる、と思った。
人生に、いつもあるとは限らないもの。
あるいは、必ずしも人生にあるとは限らないもの。
そういうものっていくつかある。

たとえば、大恋愛。誰かをものすごく好きになることや、そういう相手に出会うこと。
好きになった人が、自分のことも同じくらい好きになってくれること。
恋愛ではなく、いわゆる「ソウルメイト」と呼ばれる存在もそうだ。
なぜか分からないけどとにかく好きで仕方ない、一緒にいるだけで嬉しい。そういう友達や存在に出会うこと。
時間もそうだ。
そのときには思わなくても、後でふり返って、あぁ、あれはあの一時期だけの特別な時間だったのだ、と気づくことがある。

20代の終わりから30歳頃にかけて、小さかった甥っこに会いに、頻繁に姉の家へ遊びに行っていた時期があった。
お盆とか年末年始はもちろん、ちょっとした三連休があれば足繁く通っていて(新幹線に乗る距離だったけど)、運動会とか七五三といった行事はもちろん、特に何でもない日常のおでかけにもしょっちゅう同行していた。
少し遠い大きめのショッピングモールに行くとか、新しい家の庭に植える木の苗を買いにホームセンターに行くとか、甥っこのサッカー教室お試し体験とか、そういういろんな場面に居合わせていた。
いまだによく「あのときも一緒にいたのか!いつでもいたな!もう住んでたんじゃないの?」と笑い話になるほど。

そんな時間の中で、一時期よく行っていたオシャレ雑貨屋があった。
大手のインテリアショップとコラボしている、田舎の割にハイセンスな雑貨屋で、食器や調理器具やオブジェ、まだまだ欲しいものがたくさんある頃だったから、ただ見に行くだけでも楽しかった。
あるときそこで「わ!これ可愛くない?!」と二人とも目を留めたマグカップがあって、「いやこれ絶対可愛い。しかも安い。買おう!」となり、お揃いで買うことになった。
確か1500円ぐらいだったと思う。
そういう、姉と私同時に目を付けて一緒に買ったものや、どちらかが持っていて後からもう一方が真似したりして、お揃いや色違いで持っている雑貨が、私たち姉妹にはたくさんある。

このとき買ったマグカップは今でも割らずに持っていて、スタメンではないけれど時々登場する。
中に茶漉しと蓋がついているのが便利だったのと、プリントされている絵が可愛かったのだ。
アリが行列を作っている絵で、ぐるっと一周した先にお菓子が現れる。

時々(主に寒い季節)このマグカップを使うと、あの頃のことを思い出す。
この絵が即「買おう!」となるほど可愛いと思っていた、20代の頃の私たちのことを。
今だったらたぶん二人とも即「買おう!」とはならないと思うのだ。
それは、30代、40代を経て目が肥え、手が届くものの値段も上がり、モノが増えて収納のことも考えるようになって、持ち物を厳選するようになったから。
だけどそれは、この頃にちょっとした雑貨をたくさん買って、所有欲がある程度満たされたせいでもあるだろう。

小さな男の子を連れて、仲良くキャイキャイ言いながらお揃いのマグカップを買って行った20代の姉妹のことを、微笑ましく思い出す年代になった。
あれは、人生にいつもあるとは限らない時間だった。