玉子焼き考

念願の、銅製の玉子焼き器を手に入れたのは半年以上前のこと。

ふるさと納税の期限が迫り、いくつか残った最終候補から玉子焼き器を選んだのは、ここ二年、息子のお弁当作りで出番が増えたからだった。
ずっとT-falのフッ素加工を使っていたのだけれど、T-falの売りである、取れる取手の部分が玉子焼きの成形をするのに微妙に邪魔で、それが毎回地味にストレスだったのと、これだけ頻繁に使うなら、昔から憧れの銅製を使うのはまさに今が旬なんじゃないか、と思ったのだ。

そうして手に入れた玉子焼き器を、万全の状態でデビューさせたくて、キッチンの調理器具置き場を大整理。
出し入れのストレスがない場所をなんとかようやく確保して、使い始めた。

熱伝導に優れた銅製品は強火が厳禁&最初の油慣らしが必要ということで、使う前と使い始めてしばらくの間、お手本となる動画をいくつか見ることに。
それで気づいたというか思い出したのだけれど、人が玉子焼きを作るところを、私は延々見てしまう。
延々見ていても飽きないのだ。

玉子焼きの作り方というのは、人によってそれぞれ微妙に違っていて、菜箸を使う人、菜箸でなくヘラを使う人、(たぶんそれによって)巻いた玉子を手前に寄せる人、奥に寄せる人と分かれる。
たぶんどちらが絶対正解というのではなくて、やりやすさが人によって違うのだろう。
見ていて一番好きなのは、卵液を玉子焼き器に注いですぐ、すでに巻かれた部分の下に流し入れるところ。
あれは何度見ても「ほほぅ...」と思ってしまう。
誰が考えたのか知らないけれど、うまくできているなぁと思う。
あとは、注いだ卵液を菜箸の先でちょちょっと混ぜて皺が寄るところも、見ていて飽きない。
そのやり方も人によって本当にいろいろ違っていて、あんまり触らない人もいれば、こまめに膨らみをつぶす人もいる。
そして、どんなに途中「あっ、大丈夫かな...」とハラハラした玉子焼きでも、最後にはたいていきれいな長方形になる、というのがいつも不思議で面白い。
「終わり良ければすべて良し」というか、内情がいくらぐちゃぐちゃでも外面だけは涼しく取り繕って、辻褄を合わせられてしまう愛嬌というかしたたかさがあるのが、玉子焼きのいいところだ。

いくつか失敗を重ねて、うまくいかないときはたいてい、①火が強すぎる②卵液を一度に入れすぎた③砂糖を入れるときは焦げやすい のどれかだと分かったので、それらを避けるようにすればあまり失敗しないようになった。
それでも100%うまくはなかなかいかないけれど、いつか、老舗の玉子焼き屋のおじいさん職人が、「100%納得のいく玉子焼きになるのは○個に一個」と言っているのをTVか何かで見たことがあって、そんな大ベテランでもそんなものなんだ!というのがひそかな支えになっている。

夫は砂糖入りの玉子焼きで育ったらしいけれど、私は砂糖なし、塩味系の玉子焼きで育ったので、焦げ回避もあって子どもたちには砂糖なしが定番。
もうちょっと銅に慣れてきたら、砂糖入りにも時々チャレンジしてみようかな。