NEW WORLD

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息子は少し大きくなり、外の世界にも少しずつ興味を示し始めた。

新生児からしばらくの間は、外に連れて行っても寝てしまうだけだったから意味がないような気がしたけれど、
今は時によって人に興味も示すし、周りの音に耳を澄ませている様子もある。

子育て広場のようなところにも、少しずつ顔を出し始めた。
同じ月齢くらいの赤ちゃんを持つお母さんを見ると、何かもうそれだけで安心して、駆け寄りたくなる自分がいる。
子どもがいなかったときには、そういう「駆け寄りたくなるような」感覚は、たとえ自分と共通点がある人がいたとしてもまったくなかったような気がする。
これはいったいどういう心の動きなんだろう。

1月2月と、何回か連続の子育てグループに参加していた。
最終回の先日、
月齢の近い二人のお母さんと、連絡先の交換をした。
あたたかくなったら、近くの大きな公園に一緒に行きましょうと話して解散した。

母は今、新しいつながりを求めて手を伸ばし始めている。

寄らば大樹の蔭

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大きいもののいいところは、
一部で何かが起こっても、それが全体のシステムにすぐ致命的に影響することがなく、バランスを保ちながら緩やかに変化していけることだ。

「緩やかに」というのは、生命にとってとても大事なことだ。
咄嗟の、一瞬のことで命が失われるというのは、生命にとってはクリティカルな問題だ。

「安定」とは「変化しないこと」ではなく、
「緩やかに変化できること」なのかもしれない。

一年後の春

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去年の梅の季節。
同じ場所を、夫と通って写真を撮った。
初めての妊娠を確認しに、初めて産科へ行った日のことだった。
同じように晴れていて、私は花粉症で鼻がむずむずで、妊娠初期のせいもあったのだろう、とても眠かった。
幸せな気持ちと無事確認されるか不安な気持ちが入り交じっていた。

一年後の今、同じ景色を、あのとき小さな胎嚢だった息子と見ている。

一年後の春、私はどうしているだろう。

渦巻きのお菓子

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春に引っ越してしまう友達が、4ヶ月の息子に会いに来てくれた。
引っ越し先の銘菓を持って。

単身東京に来てもうすぐ6年。
会える距離に親しい友達がいてくれることは、いなくなると分かってから、心強かったのだと知った。

変わらないものなど何もない。

camera eyes

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子どもの頃から、フェンスを見るとやってしまう遊び。

フェンスに顔をくっつけるようにして顔を遠ざけたり近づけたりしていると、
ピントがフェンスの向こうの景色に合ったり、フェンス自体に合ったりする。

その、切り替わる瞬間の、目の眩むような感覚が好きだった。

今はそれをカメラのレンズでやっている。

なにがし文具店

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子どもの頃、文具店が好きだった。
雑貨屋が好きな大人は、きっと子どもの頃文具店が好きだったと思う。

一番よく通った近所の文具店は、とにかく落ち着かない店だった。
いま思うと子どもの万引きを警戒していたのだろう。
お店に入ると「ピロピロピロ~ン」とセンサーが何度も鳴り、奥からハイハイと出てきたおばあさんが「何が要るの?」と必要なものをせかせかと尋ねてきた。
すぐに会計をしてすぐに店内を立ち去らないと、その後も何やかや話しかけてきて、自由に見させてくれなかった。

あれは何というお店だったか。

古い家の匂いがする店内も、おばあさんの声も思い出せるのに、
おばあさんの苗字がついたお店の名前だけ、なぜか思い出せない。