すっかり冬になった。
年末に向かっていく、この季節が好きだ。
日が暮れるのが早くなって、家路を急ぎたくなる季節。
あたたかいココアを飲みたくなる季節。
紅葉の井の頭公園。
たまたま吉祥寺に用があって来たところ、公園周辺に警官や警察車両、公的な職員らしき人たちがたくさんいて、なんだか普通でない雰囲気。
勇気を出して警備の人に聞いてみたら、なんと、井の頭公園に天皇皇后両陛下がいらっしゃっているとのこと!
これは行くしかないと公園に入ると、まもなくすぐそこに現れそうな雰囲気が満々。
「いま弁天橋を渡られてますー」
「いま説明を聞き終えられましたー」
と時々アナウンスがあって、否応なしに気持ちが高まる。
待つこと10分ほどで、向こうの方から行列が現れ、なんだか白く光っている感じがするなぁと思ったら、それが両陛下なのだった。
テレビで見ていても優しいけれど、生で見るお二人はその何十倍もお優しい雰囲気で、なぜか思わず涙ぐんでしまうほど。
あのような立場に生まれて育ち、時を重ねてきた人だけが持つ光だなぁと、しみじみ納得したのだった。
本当に、いいものを見た。
歌人である永田和宏が、妻であり歌人である河野裕子との、最後の日々を書いた本。
同じく永田和宏が、妻との出会いからの日々を書いた『たとへば君』も凄かったけれど、
この本はそれに輪をかけて凄みがあるというか、全編にわたって切実というか。
涙なしには読めない。
それも、三頁に一回ぐらい涙がこみ上げる。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
亡くなる前日に詠んだという、切れ切れの息継ぎがまさに聞こえてきそうな四句切れのこの歌が、河野裕子の最後の歌になったという。
この一首だけでも、河野裕子という歌人の凄さが分かる気がする。
永田和宏を知ったのは、もう十年以上前に新聞で見た、あるエッセイだった。
あんまりいいエッセイなので、今も切り抜きを残してある。
家族とは時間を共有するものの謂だと改めて思うのです。「あの時、あの海岸で」と言えば、すぐに「ああ、あの空」と帰ってくるような、そんな記憶の共有、時間があってこその家族なのでしょう。楽しい記憶も、懐かしい時間もひとりでじっと抱えているのはしんどすぎるのかもしれません。
このときに痛切に欲しいと思った「家族」を、私も今は得て、時を重ねていっていることの不思議。
生きることに対して背筋を伸ばしたくなったときに、何度でも読み返したくなる本。
一時保育のお迎えまで、1時間弱の自由時間。
ちょうどお昼時なので、最近はいつもお気に入りカフェでランチを食べるようになった。
混んでいてちょっと待ちになることもあるし、
すぐ座れても出てくるのが遅くて、食後のドリンクを慌てて一緒に持ってきてもらうこともある。
それでもこの時間が、貴重なひとりのランチ時間。
人に作ってもらう定食は、なんだかとってもあたたかい。