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遠ざかる故郷の空

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壊れかけのradioならぬ、壊れかけのうちの掃除機。

20年前、一人暮らしの若者を席巻したおしゃれ家電の走り。

 

 

 

どうやら息子は掃除機の音が好きらしい。

ぐずっていても掃除機をかけ始めたら泣き止むし、そのまま寝てしまったことまである。

最初は恐る恐る機嫌のいいときにかけていたけど、もっと早く気づけばよかった。

 

思春期に少女から大人に変わった掃除機の持ち主は、

遠く離れた地で駆け出しの母親になった。

機嫌の良い人々

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知り合いの写真展へ。

平日が定休の夫と、週末にお出かけできるのはすごく嬉しい。

ギャラリー近くの、気になっていた大衆割烹で遅めのランチ。
運良く端っこの席が空いていて、ベビーカーのまま入ることができた。

夫は熱燗と大盛り海鮮丼。
私も飲みたかったけど、一応まだ授乳中だから我慢して、金目鯛の煮付け定食。

ごはんは予想以上にどれもおいしく、
お店のおばちゃんは感じ良く、
店内は休日の昼から飲む機嫌の良い人々ばかり。

途中で泣き出した息子を交代で抱えながらの慌ただしいランチだったけれど、
銀座に出たときにはきっとまた行くだろう、温かいお店だった。

小さい人の力

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あることで、このところずっと胸に重たい石を抱えていた。

その日が来るまでは、不安だけれど自分ではどうしようもできない日々。

「考えないで過ごす」ということが大の苦手だったけれど、
子どもの前で暗い顔をしているのはよくないと、今回初めて「考えないで過ごす」ことに全力を傾けた。
結果、それは正解だった。
蓋を開けてみれば、必死で考えていても無駄になるような一件だった。

子どもがいることで、こんなふうに自分が少しずつ変わっていく。

事の先行きが見えてきて、ようやく外でゆっくりランチをしたい気持ちが戻ってきた。
連れて出てきた息子も、ちょうど抱っこひもでスヤスヤ。

久しぶりの明るい空間は、
傷ついて疲れた心を、しみじみと癒してくれた。

NEW WORLD

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息子は少し大きくなり、外の世界にも少しずつ興味を示し始めた。

新生児からしばらくの間は、外に連れて行っても寝てしまうだけだったから意味がないような気がしたけれど、
今は時によって人に興味も示すし、周りの音に耳を澄ませている様子もある。

子育て広場のようなところにも、少しずつ顔を出し始めた。
同じ月齢くらいの赤ちゃんを持つお母さんを見ると、何かもうそれだけで安心して、駆け寄りたくなる自分がいる。
子どもがいなかったときには、そういう「駆け寄りたくなるような」感覚は、たとえ自分と共通点がある人がいたとしてもまったくなかったような気がする。
これはいったいどういう心の動きなんだろう。

1月2月と、何回か連続の子育てグループに参加していた。
最終回の先日、
月齢の近い二人のお母さんと、連絡先の交換をした。
あたたかくなったら、近くの大きな公園に一緒に行きましょうと話して解散した。

母は今、新しいつながりを求めて手を伸ばし始めている。

初梅

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梅の美しい季節。

桜より梅見が好きなのは、
赤い毛氈の敷かれたお茶席や、甘酒の匂いや、いかにもといった感じでスピーカーから流れてくる琴の音に、
普段控えめな人が浮かれたような可愛らしさを感じるからかもしれない。

今年の梅は、赤子にとって初めての梅。

寄らば大樹の蔭

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大きいもののいいところは、
一部で何かが起こっても、それが全体のシステムにすぐ致命的に影響することがなく、バランスを保ちながら緩やかに変化していけることだ。

「緩やかに」というのは、生命にとってとても大事なことだ。
咄嗟の、一瞬のことで命が失われるというのは、生命にとってはクリティカルな問題だ。

「安定」とは「変化しないこと」ではなく、
「緩やかに変化できること」なのかもしれない。

一年後の春

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去年の梅の季節。
同じ場所を、夫と通って写真を撮った。
初めての妊娠を確認しに、初めて産科へ行った日のことだった。
同じように晴れていて、私は花粉症で鼻がむずむずで、妊娠初期のせいもあったのだろう、とても眠かった。
幸せな気持ちと無事確認されるか不安な気持ちが入り交じっていた。

一年後の今、同じ景色を、あのとき小さな胎嚢だった息子と見ている。

一年後の春、私はどうしているだろう。