GWは短い帰省。
新緑の奥多摩を抜けていく。
耳の痛みがやっと収まったと思ったら、今度はぐるんぐるんのめまいがやってきた。
いつまで続くのかこの不調。
二種類目でようやく効いてきたらしい抗生物質のおかげで、短時間の家事ならなんとか、という状態になってきた。
最近の息子。
ハイハイはまだできないけれど、「ママの姿が見えなくなると泣く」という後追いが始まった模様。
しばらく観察した結果、同じ「姿が見えない」でも「扉を閉める」というのが絶対NGらしいことが分かってきた。
それもどうやら、半透明の扉、というのが一番ダメなよう。
これは困る。
一番困るのが、一人でお風呂に入れないといけないとき。
開けたままシャワーを浴びるわけにもいかず、かといって閉めるとまさに火がついたように泣く。
大丈夫よ~、と時々顔を見せるとこれがまたよくないようで、「行かないで!!!!!!!」と言うように絶叫。
その顔と言ったら、ホラー映画で恐怖の何かを見た人のような、ものすごい表情なのだ。
よく私たちは、人に対して「シャッターを下ろす」とか言う。
「扉を閉められる」というのは、こんなにも小さなときから「拒否される」感じがするのだろうか。
大量の薬。
もう半月も長引いている風邪が急速に悪化して、大人になって初めての中耳炎まで発症。
これがもう痛いのなんの。
瞬間最大痛みとしては、(出産を除く)私史上痛みランキング1位の、プチ骨折といい勝負だった。
ほうほうの体で駆け込んだ小さな診療所では、看護師さんや患者のおばあちゃんたちに息子が大人気でちょっと救われた。
6ヶ月の息子を見て、看護師さんが言った一言。
「なんか...いい大きさになってきましたね」。
うんうん。
「いい大きさ」、すごく分かる。
不安にさせられるほど小さくもなく、幼児ほど大きくもなく、「ザ・赤ちゃん」って感じなんだよね、きっと。
風邪で寝込んでいる中でも、その日付はぼんやりと頭の隅に引っかかってきた。
4月18日。
彼は私にとって初めてできた年上の友人だった。
彼の好きだったクラシック音楽が流れる、高台の上品な住宅地。
お葬式の日はいわゆる花冷えで、
桜が満開だったような記憶があるのだけれど、あれは八重桜だったのか。
あんなに悲しいお葬式はなかった。
いや、人生であんなに悲しいことはなかった。
喪主挨拶の最後に突然叫ばれた「Nちゃん、愛してます」という若妻の悲鳴を、私は一生忘れられないと思う。
突然の病に倒れた、彼はまだ31歳だった。
あれから今年で15年。
あれ以来、「人は簡単に死ぬ」という思いを持ちながら生きてきた気がする。
人はそうそう簡単に死なない、という気持ちもあるけれど、
それでも死ぬときはあまりにも簡単に死ぬ。
それは彼が教えてくれたこと。