新潟旅行記④二日目中盤 酒蔵でハッスルする

お昼ごはんの場所から、再び宿方面へ戻ること20分。
予約していた見学時間を10分ほど過ぎて、先ほど見かけた酒造に到着した。
予約のページに「遅れた場合は途中からの見学になります」と書いてあった通り、既にその時間の見学者一行は進んでいて、後を追いかける形で中に案内してもらった。

「今代司(イマヨツカサ)」というその酒蔵は、施設がとてもおしゃれで、新潟駅から徒歩圏内ということもあって、かなり人気のようだった。
後から観光バスで来ていたご一行もいて、酒蔵見学は大盛況。
私たちの回の案内者は、きっと社内の地位はだいぶ高いんだろうなという、飄々とした年配の男性だったのだけれど、このおじさんがまぁ、話がめちゃくちゃ上手い人だった。
何百回、いや何千回と案内をこなしているであろうのに、しゃべりが機械的でなく臨機応変で、その回の客層に合わせてちょいちょいネタも変えている感じ。
噺家さんのようで、つい聞き入ってしまった。

この酒蔵で作っているお酒はすべて純米酒だそうで、私たちは米を磨く話のところから参加した。
米をどれぐらい磨くか(精米度合)によって、純米酒純米吟醸純米大吟醸と名前が変わるのだそう。
下の写真は、一番小さく削った段階の米。

米粒が半分ぐらいの大きさまで削られていて、なるほど、だから純米大吟醸は高価なのだった。
原料がいっぱい要るもんね。

続いて蔵の中に進むと、背丈より高いタンクがいくつも並んでいた。
さすがに樽ではなくて、金属製のタンク。
その中で発酵が進んでいるらしいのだけれど、おじさんによると、タンクの中は発酵途中に出る二酸化炭素が充満していて、もしも落ちたら酸素がゼロなので即死らしい。
見学者の中から「酒に溺れて死ぬ(笑)」という声がして「うまい!」と思っていたら、おじさんが笑いながら「それよく言う人がいるんだけどさぁ。今日なんか若い人が多いけどさぁ、酒好きのおじさんがたくさんいるときなんか、みんな言うんだよ、『酒に溺れて死ぬなら本望だ』とかなんとか。だけどこれ、溺死じゃないよ、窒息死だっつーの」。
どっと笑いが起きる。
万事がそんな調子で、おじさんの軽妙なトークで案内は進んでいった。

ちなみに、この発酵の途中で酵母を早めに死なせて発酵を止めると、ブドウ糖が多く残って甘口のお酒になるらしい。
なるほど、勉強になる~。

発酵したタンクの中身はどろどろの状態(もろみ)で、これを機械で圧搾すると、液体部分と固形部分に分かれる。
その液体部分が「清酒」、残った固形部分が「酒粕」なのだそう。

搾る機械は意外にも横から圧力をかける仕組みで、酒粕は板状に残る。
それを割れないように綺麗にはがして、酒粕として売るのだそう。
確かに、売られている酒粕って板状になっている。

そうして搾られた清酒部分が、ホースの中を通ってまた違うタンクに送られる。

「そのホースの中に今純米酒が通ってるんだよ。そこに穴開けてストロー差したらチューッと飲めるよ(笑)」とおじさん。
純米酒が通ってると言われたら、おいそれと踏めない。

お酒造りの解説はだいたいこのあたりまでで、あとは昔の酒造り道具の展示を見たり、撮影スポットで記念撮影をしたりして、見学は終了となった。

全然知らなかったけど、この酒蔵は以前JR東日本のポスターに使われたらしく、たぶんそれに写っているのはこのおじさんだった。

見学が終わると、無料で試飲ができるお土産コーナーへ。
飲めない人向けにノンアルコールの甘酒も用意されていて、至れり尽くせりだった。
有料の試飲を申し込むと、何種類か飲み比べもできるよう。
お土産売り場は華やかなディスプレイで、後の予定が押していたから酒蔵見学だけのつもりだったのに、「ちょっと見て行こうよ」となった。
その場で食べられるソフトクリームなんかもあって、子どもたちはもう完全に食べる気満々。
そりゃそうだ。子どもにとっては、酒蔵の楽しみなんてそれぐらいしかない。

ここで夫が「運転よろしく」と言ってきた。
まぁ、そう来るだろうなとは予想していた。
私は絶対いま飲みたい、というわけではなかったから、平和的に運転交代して、夫は日本酒の試飲を、私は甘酒試飲&子どもたちはソフトクリームを楽しむ。

そうこうしていたら、子どもたちがお土産コーナーにあるガチャを見つけてやりたいと言い出した。
ガチャの類はキリがないから、ふだん一切やらない我が家。
即却下して特に気にせずにいたら、後から来た団体が、何やらガチャに群がり始めた。
その団体は全員20~30代の男性で、見た目はなんとなくもっさりしており、でも全員なんとなく頭が良さそうで理系っぽい。
何だろう、アニメ好きの人たちの聖地ツアーとか...?何かガチャにいい景品があるんだろうか...?
と耳を澄ませていたら、やはり同じように気になったらしい夫が「このガチャ、かなりお得じゃない?」と言ってきた。
よく見ると、500円でハズレなし、お酒とノンアルコールの二台に分かれていて、ノンアルコールの方には、買おうと思っていたおやつが最下等の景品に入っている。

夫が素早くお土産コーナーを見てきて計算したところ、場合によっては買うより高い景品があるし、下の方の景品でも原価率(?)はかなり高いとのこと。
要は、好きな銘柄は選べないものの、子どもたちにガチャを回す楽しみを与えてあげられて、かつお土産も買えるという仕組み。
「え、だったらやろうよ!」と急に方針が変わり、子どもたちは大喜び。
6回分ぐらいのガチャを回させてあげて、自宅用と人へのお土産用のお酒やら甘酒やらをGETした。

私たちの前に群がってやっていた男子集団から聞こえてきた話では、だいたい1,2等は出なくて、3等以下が出るという統計データだった。
私たちは6回のうち3回3等が出たから、まずまずの成果。
ガチャのカプセルの中には等級別に色の違うコインが入っていて、レジで景品と引き換えに行くのだけれど、レジのお姉さんも「いいのいっぱい当たりましたね!」と言っていたから、なかなかラッキーだったのかもしれない。

施設がとにかく綺麗だったので、ここで次男のオムツ替えも済ませたりしていると、40分ぐらいの滞在の予定が、気づけば一時間半になっていた。
この後は私が絶対寄りたい新潟にしかないお店と、子どもたち待望の水族館の予定があるので、急いでお店を出て駐車場へ。

駐車場には大きな観光バスが止まっていて、先ほどの男子集団が乗り込んでいくのが見えた。
フロントの団体名を見たら「なんとかシステムズ」となっていて、「あ~、SEかプログラマーかぁ~!そういう感じだわ!」と夫と妙に納得しながら酒蔵を後にしたのだった。

新潟旅行記③二日目前半 お昼ごはんでハッスルする

夜中に降った雪がうっすら積もった、二日目の朝。

予定より一時間ほど遅く、新潟中央卸売市場に向けて出発した。
昨日着いたときはもう暗かったので、あらためて宿入り口で記念写真。

このあたりは全体に建物が隣り合ってたくさん並んでいる地域なので、窓からの眺めは楽しめない。
でもそこはまぁ、室内が楽しいから十分だ。

この日は卸売市場と水族館の予定だけざっくり決めていたのだけれど、助手席から外を見ていたら、気になる建物を発見。
そういうときはすかさずGoogleマップで調べる。
すると、そこは酒蔵見学(無料)ができる酒造で、ネット予約もできる模様。
「こんなのあるよ。今日でも予約できそうだよ」と言うと、夫も乗り気になり、急いで午後イチの時間を予約した。

20分ほど走ると、中央卸売市場付近に到着。
が、入り口がなかなか分からない。
新潟中央卸売市場は全国の卸売市場の中でも特に敷地が広大らしく、後で調べたらどうやら正面ではない入り口に停めてしまったようだった。

中央棟というのを挟んで、両翼に「水産棟」「青果棟」が広がっているのだけれど、とにかく人気がない。

歩いているうちに分かったところでは、ちょうど10:00~11:00の休憩タイムに行ってしまったのだった。
夫がごはんを食べたいと言っていた飲食店系も軒並み一時間の休憩中。
仕方ないので、ざっと見て、お昼ごはんは別に狙っていたお店へ早めに向かおうということになった。

青果棟も人がほとんどいない。
競りが行われるのであろうお立ち台みたいなのが見える。

見学者用通路は二階に回廊状に延びていて、その所々に一階に降りる階段があり、そこが各店のバックヤードになっているようだった。
こういう効率的な動線を設計する人がいるんだなぁ。

駐車場に向かおうと中央棟に戻ったら、さっき「準備中」だった食堂が「営業中」になっている。
え?まだ11時前なのに?

でもちらほら客が来始めていて、なんとなくすぐに混んできそうな予感。
しかも、水産食堂という名前からして、職員食堂も兼ねていそうな質実さにそそられる。
「どうする?行く?」と言いながらメニューを見たら、たまたまその日は週2回しかないマグロの曜日!

しかしここでお昼を食べてしまうと、予定していたお米のおいしいお店には行けなくなる。
魚か米か...と迷いまくっていると、夫がまさかの提案をしてきた。
「ここで半分食べて、次の店で半分にしよう」「え、ランチのハシゴってこと?」「そう」

かくして、ランチその1は曜日限定まぐろ丼と刺身定食となった。

まぐろ丼は、中トロに赤身といろんな部位が入っている。
刺身も分厚いし、汁物は磯のいい香り。
そしてもちろん、お米も最高。

大満足で市場を出て、次の目的地へ。
本当は、ルート的にもお腹の具合的にも酒蔵見学を挟んだ方がよかったのだけれど、時間的な関係ですぐにランチその2へ行くことになった。
また20分ぐらい走って、ごはんをかまどで焼くのが売りのお店へ。

私はお店のオススメメニューであるキングサーモンの味噌焼き、夫は鶏肉の炭火焼き。
子どもたちはさっきの定食を多めに食べたのもあって、塩むすび
お米好きの長男は、とにかく塩むすびを楽しみにしていたのだ。

早めのお昼だったので先客はいなかったのだけれど、注文を受けてから炊くのか、けっこう時間がかかった。
でも、出てきた食事はこれまた美味で、ごはんが何杯でも食べられそう。

デザートに小さなみたらし団子がついていたのだけれど、食べてみてちょっとびっくり。
すごく、お米の味がするのだ。
夫もひとくち食べてみて「ほんとだ、すごく米だ」と感心していた。

食べ終わるとすぐに店を出て、今度は次の目的地、酒蔵見学へ慌ただしく出発したのだった。

新潟旅行紀②一日目後半 ご当地スーパーでハッスルする

ストックバスターズを出た後は、今回の宿がある新潟市へ。
燕三条付近でも宿を探したのだけれど、圧倒的に新潟市内の方が数が多かったのだ。
高速も下道もあまり時間が変わらなかったので、のんびり下道で行くことにした。

40分ほど走ったあたりで、どこか宿に近いスーパーに寄ることにした。
本当はこの日はどこか外食をと思っていたのだけれど、いかんせん昼の中華が全然消化されない(笑)
ただ、子どもたちはお腹がすくだろうし、飲み物や朝ごはんも必要なので、旅の楽しみである「ご当地スーパー巡り」を兼ねて、どこかで買って帰ろうという話になったのだ。

ストックバスターズを出る頃から雨は本降りになり、やがて雪に変わった。
新潟市内に入ると車は適度に混み始め、ゆっくり運転の中、助手席でスーパーを検索。
新潟のご当地スーパーらしきお店が二件ほどヒットし、そのうち水産系に強そうな「ウオロク」という名前のスーパーを目指すことにした。

新潟市内は、元有料道路と思われる高架の自動車専用道が走っていて、スーパーはじめ、お店に行くにはその道路をいったん降りなくてはならない。
Googleマップ上では自動車道と側道の区別がつきにくくて、一店舗は通りすぎてしまった。
でもウオロクはたくさんあるので、次のウオロクを目指して自動車道を降りたら、今度はめちゃくちゃややこしい交差点。
「これこそラウンドアバウトにすべき」と言いたくなるような、どの信号に従えばいいのか一瞬分からないような交差点で、Uターンのように右折してなんとかウオロクに到着した。

雨がけっこう降っていたので、まずは私が単独で偵察に行く。
入り口近くにあった寿司コーナーですぐに、ピカピカのネタが輝いているのを発見。
残り数も少なくなり始めていたので、すぐさま夫にLINEを送って、子どもたち共々合流した。

「お腹すいてないわ~」と言っていた夫も私も、輝く刺身を見て「これぐらいなら食べれるよね」と急に言うことが変わる。
新鮮なのはもちろん、同じ値段のパックでもメインのネタが違っていて、迷いまくる。
値引きの時間が近づいていたので品薄になっていたこともあり、欲しいネタがあればすかさずかごに入れた。
値引きの時間になっても刺身がツヤツヤしているのは、日本海沿いならではだ。
ウオロクは酒類も充実していたので、酒類やら朝食やら二次会用のお菓子やらを買い込んで、やっと宿に向かった。

今回の宿も、ホテルではなくエアビーで取った一棟貸しの古民家。
登録指定文化財になっているという古い建物を改装した宿で、かなり人気だったのがたまたま空いていたので、楽しみにしていた。
チェックインのときだけオーナーが説明に来てくれ、それ以外はメールでのやりとり。
通常はだんなさんが来るらしいのだけれど、このときはたまたま不在で、すごくおしゃれな奥様が登場した。
三兄弟のママで、一番下の子はうちの次男とそう年が変わらないということで、子どもの相手もとても慣れている感じ。
そのせいか次男はしょっぱなから奥様相手にしゃべり倒しだった。

二棟使えるうち、一棟のメインの部屋はこんな感じ。

部屋の中に坪庭的スペースがあったり、吹き抜けの二階があったりで、いろんなコーナーを楽しめる。

暖房として大きなペレットストーブが置いてあり、これが強力。
ペレットストーブって初めて見たけど、小さな木のチップが燃料になっていて、なくなりかけたらセルフで補充できるよう、押し入れに大きな袋が置いてあった。
その袋の大きさといい、補充の仕方といい、どうしてもドッグフードを彷彿とさせる感じで、泊まっている間は夫とペレットの補充を「餌やり」と呼んでいた。

調理ができるキッチンもあって、ここもまた素敵空間。

調度品含め、宿全体の色のトーンが統一されていて、並々ならぬセンスを感じる。
家電も黒で統一されていて、器も焼き物がたくさん。
子ども用に割れない食器もあって、プラスチック製だけれどマットで落ち着いた色のお皿が、扉つきの棚に収納されていた。

この日は長距離の移動で疲れていたのと、少しでもお腹を消化してから晩ごはんに臨むべく、先にお風呂に入ることにした。

お風呂は石造りでちょっと冷えるのだけど、壁のヒノキはいい香り。
というか、宿全体におそらくアロマが使われていて、建物に入った瞬間からヒノキオイルっぽい香りでとてもリラックスできる。
水回りのソープ類はすべてマークスアンドウェブの黒パッケージで統一。
タオル類も多めに用意されていて、旅先でタオルが足りないのがプチストレスな私にとっては、その点も行き届いていてありがたかった。

お風呂に入った後は、いよいよ宴だ。
この宿は二棟が隣り合っていて、一棟は古民家、もう一棟は蔵を改装した建物になっていて、渡り廊下でつながっている。

元は外だったのだろうスペースを、屋内移動できるようにしてくれていて、それは便利なのだけれど、離れた棟にいるともう一棟の物音はまったく聞こえない。
寝室は蔵の二階になっていて、大人よりも早く寝るだろう子どもたちを置いて別棟で過ごすのは不安が大きい。
もし食事途中に子どもが寝てしまったら、抱っこして上がるにはちょっと厳しい階段だ。

でもせっかくならやっぱり全部のスペースを楽しみたいので、まずは食事を古民家で済ませ、二次会パーティ(大人はお酒、子どもはお菓子)を蔵の方でしようということになった。
そうすれば、子どもが二階で寝ているすぐ下でゆっくりできる。

ということで、古民家一階で一次会。

ご当地ビールはクセのない味でとてもおいしかった。
刺身、寿司ともネタが大きくて、食べごたえ十分だ。

このクオリティの魚をスーパーで買って食べられるなんて、さすが日本海だ。
今回、新潟ということで米は意識していたけれど、魚はなぜかそこまで意識していなかった。
でも、行ってみたらとにかく海の幸のレベルが高い。
改めて思ったけれど、魚はやっぱり寒い海の方がおいしいのだ。

あらかた食べたあたりで、子どもたちが「早くパーティーしようよ~」と落ち着かなくなってきたので、まだ残してある刺身とお酒、お菓子を持って蔵に移動。

Bluetoothでつないだスピーカーで、夫がなぜかジャズのプレイリストを選曲。
空間が一気におしゃれになった。

子どもたちはお菓子を食べて、もう眠くて仕方なさそうなので、歯磨きをさせて寝室へ。
ベッドに入れたらものの数十秒で寝息が聞こえてきた。

夫と私はまだ晩酌をしながら、明日の予定を組む。
夫が行きたいという、中央卸売市場に朝いち行く予定だったので、大人もあまり遅くならないよう切り上げ、ふかふかのお布団で眠りに就いた。

新潟旅行紀①一日目前半 燕三条でハッスルする

夫が貯めていたJRポイントを使い、通常よりお得に行ける「どこかにビューン」という企画で、旅行に行くことになった。
日程だけ決めて、行き先は4つの新幹線駅の中から最後はクジで決まるという企画。
家族みんなの都合がつく週末となるとほぼ一択だったので、先に日程を押さえ、抽選開始となる三週間前に申し込む。
4つの組み合わせは(上限はあるものの)何度でもトライできるので、「この4つならまぁどこでも」という組み合わせが出たところで決定ボタンを押し、翌日抽選結果が送られてきて、ようやく往復新幹線の時間や行き先が決定したのだった。

今回の行き先は、4つの中で私的に本命だった「燕三条」。
言わずとしれた、金物・洋食器の生産地だ。
いつかは行ってみたいと思っていたチャンスが突然やってきたので、慌てて情報をリサーチ。
まずは急いで宿を取り(私と夫)、現地での足となるレンタカーを押さえ(夫)、行きたい場所をピックアップして(私)、なんとなくの行程が出来上がった。
こういうとき、旅好きの夫と私の連携は驚くほどスムーズだ。

そして迎えた、二泊三日の旅。
初めて乗る上越新幹線に、鉄道好きの息子はもちろん、大人もちょっとテンションが上がる。

東京駅を出て二時間弱、ちょうどお昼頃に燕三条駅に到着した。
新幹線改札の出口にカトラリー像があって「おぉ」となる。
もちろん腕でバッテンのポーズを撮って記念撮影をした。

燕三条」という自治体は実はなくて、「燕市」と「三条市」を合わせたエリアをそう呼ぶらしいのだけれど、この両市は何かとしのぎを削っているらしい。
たとえば新幹線の駅は「燕三条」だけれど、そのすぐ近くの高速インターチェンジは「三条燕」。
駅の改札を出たところから、もう既に行く手がきっぱり左右に分かれていて、思わず笑ってしまった。

夫がレンタカーの手続きをしている間に、車で使うものたちを手荷物に入れ替える。
ふと見ると、燕口と三条口で色が違っている。
それぞれ、胴とステンレスの色だろうか。

レンタカーで、まずはお昼ごはんスポットへと向かった。
燕三条のグルメと言えば、背脂ラーメンらしい。
事前に調べておいた老舗中華のお店は、車で15分ほどの距離にあった。
行ってみると、ひっきりなしに客が来ている。
これは期待大。

座敷席に通してもらい、定食2つ(半ラーメンセット)と、ギョーザ4個セット、子ども用にチャーハン、ラーメンを一つずつ注文。
すると、オーダーを取っていた若いお兄さんの顔が途中で曇った。
あ...もしかして量多い?
「えーと...うちけっこう量あるんで、お子さまのラーメンは半ラーメンで足りるかと思います」
「じゃあ最後のラーメンはなしで」
ということで、ラーメンだけ減らしたのだけど、来てみたら半ラーメンは軽く普通のサイズだった(笑)


この写真でも一部で、この後に野菜炒め定食が。
「ほんとに食べれるのこれ?」と笑えてきたけど、最後は夫が完食。
さすが、学生時代「バケツ」と呼ばれていただけある(笑)

ギョーザは4個といえども一つが3個分ぐらいのジャンボサイズだった。

背脂ラーメンは見た目よりあっさり。
定食の野菜炒めも牛スジ煮込みもすごくおいしくて、客がひっきりなしなのも納得のお店だった。

今日はもうこれ一食で足りるのではというぐらい満腹になって、次は私のメインイベント「ストックバスターズ」へ。
キッチン用品(プラス日用品も少し)のアウトレットで、燕三条に行くなら絶対行きたかったのだ。

ストックバスターズの店舗は広さはそこそこ(中規模の平屋のスーパーぐらい)だったものの、品数の多さは思った以上。
しかも安い。アウトレットとはいえ、安い。
たとえば元値1000円するものが、「在庫過多のため」100円になっていたりする。

ざっと10分見たところで、「これはヤバい、長居決定だわ」と夫に報告。
もともとここは私だけで回り、夫は子どもたちを連れてどこかにドライブしてきてもらおうと思っていたのだけれど、雨がけっこう降り出していたのと、子どもも夫も眠気のピークが来ていたのとで、結局駐車場で待つという。

次の移動もあるので、長居とはいえ与えられた時間は約一時間。
ひとまず全体を駆け足で見て、持ち帰れるサイズでお得なもの、探していたもの、知人へのちょっとしたお土産になりそうなものを見繕う。
おしゃれな雑貨屋で見たことあるものとすごく似た商品が、その1~3割ぐらいの値段で置いてあったりして、これが100均とかならパチモノだろうと思うのだけど、なにせここは燕三条
OEMの製造元商品である可能性が高いのだ。
異様に安くなっている商品には、ちゃんと「在庫過多のため」とか「製造終了のため」とか理由が書いてあるのも安心。
「1000円だったら買わないけど、100円だったら買うわ!」という便利グッズが本当に100均並みの値段でたくさんあって、心の中が大忙しだった。

まだ旅の序盤なのに、エコバッグいっぱいの雑貨を買い込んで車に戻る。
夫に「買いすぎ」と叱られるかと思いきや、「...一時間でよくこれだけ買えたね」とちょっと感心された。
いや、もっと買えたんだけど(笑)
たぶん、膨大な商品の中からどれがお得か、夫はよく分からないのだと思うけれど、普段からキッチン用品を見るのが趣味の私にとっては、「これは都内でも買える価格」とか「これは100均と似てるけどクオリティが全然違う」とか「食洗機不可だからアウト」とか、判断が早いのだ。

写真は帰宅してから撮った戦利品の一部。
また追い追い使い勝手をリポートする予定。

食道具道楽

少し前に届いていたふるさと納税返礼品の鉄板に、使用前のシーズニングを施した。
「熱する」→「油を引く」→「熱する」→「油を引く」→を何度か繰り返して、最後は野菜くずを炒める作業だ。

完全に何も塗っていない状態に弱火で長くヤキを入れ、油を薄く塗って冷ます。

それを3,4回繰り返して油膜を作り、その後ストックしておいた野菜くずを炒めて鉄臭さを取り、使える状態になった。

鉄板の厚さは6mm。
約25cm四方だけど、持った感覚で2Lのペットボトル以上の重さはある。
面積的にはもっと大きい鉄板が欲しかったけれど、そうなると今度は持ったり収納したりするのが大変なので、コンロひとつの上に収まる大きさで手を打った。
この大きさならアウトドアにも持って行けそう。

最初に焼いてみたのはお好み焼き。
最近はフライパンではなく、厚みのあるスキレットで焼くようにしていたのだけれど、いかんせんスキレットは小さい。
四人分焼くには時間がかかってしまうので、今回入手した鉄板とスキレットを並行して使うことにした。

お好み焼きにしろ肉にしろ餃子にしろ、「焼く」にはやはり金属の厚みがモノを言うんだなと、つくづく思う。
表面を焦がさずに内部にしっかり火が通るから、食材の水分を逃がさないのだろう。
大阪の実家では昔、道具屋筋(東京で言う合羽橋)で業務用の鉄板付き座卓を買ったことがあって、それはけっこう長年、お好み焼きや鉄板焼きに活躍していた。
当時は「なんでわざわざ...」と思っていたけれど、今になると「分かる」と思う。
美味しいものを食べるための道具に凝るのは、そういう育ちもあるのかもしれない。
さすがにスペース的に座卓は買わないけど。

新しい鉄板で餃子を焼いてみたものの、やはりフタがあった方が仕上がりが良さそう。
ぴったりの大きさの四角いフタがなかなかないから(結構なお値段のものならあったけど)、金属加工業をやっている夫の友人にいつか頼んでみようかと相談中。

どんだけ凝るねん。

まるごと谷が消えた街

六本木周辺の土地を次々開発していくことで有名なディベロッパーM社が、また新たな巨大ビルをオープンさせたと知ったのは昨年秋のこと。
あのあたりにそんな大きな土地なんてあったっけ...?と確かめてみたら、かつて迷い込んでその不思議な雰囲気に魅了された大きな窪地が、谷まるごとその巨大ビルになったのだと知って驚愕した。
あの不思議な谷底が、またじっくり訪れてみたいと思っていた谷底が、消えてしまったのだ。

その谷地は、かつて働いていた職場からそう遠くない場所にあった。
当時一度行ってみたかったお店があって、午後から出勤の日にお店を訪ねた後、「そういえばこのあたりって全然知らないな」と歩いてみることにした。
Googleマップで調べてみると、周辺には敷地の大きなM社のビルばかりなのに、そこだけぽっかり小さな名もなき建物がこちゃこちゃと並んでいる。
さらに近くには、すごい都心にもかかわらずまとまった敷地があり、宗教施設の名前が表示されている。
興味を惹かれて、そのあたりを散策してみることにしたのだ。

今はそっくり谷ごと消えてしまったそのあたりは、かつて「我善坊谷」と呼ばれていて、その地名で調べると、街歩きをする人にはやはり独特の人気があったようだ。
私が行ったのはたぶん今から十年ほど前で、その頃にはもうM社があたり一帯を買い占めて、最後の立ち退きを待つばかりだったのだろう。
地図上のこちゃこちゃした建物は明らかに空き家になっているものも多く、手入れされていない雑草や木々がはびこって、人の生活が感じられない、ゴーストタウンのような雰囲気を醸していた。
横にある巨大宗教施設の名前がまた恐ろしげな字面なので、谷地であることとも相まって、地面から冷気が這い上がってくるような、何とも言えない雰囲気があったのだった。

先日一人で一日外出する機会があって、ルート的にちょうど行けるチャンスだったので、新しい「ヒルズ」と、その周辺の変わり方を見てみることにした。
「前に歩いたとき、なんで写真を撮っておかなかったんだろう?」と残念に思っていたけれど、今回現地に行って思い出した。
なんだか、写真を撮ってはいけないような不気味さがあって、一人だったこともあって足早に通り抜けたのだ。

新しくできたM社の「ヒルズ」は、植物を模したのか、曲線が多様されたアールヌーボー調(?)の不思議な建物。
よく山道の車道沿いに、土砂崩れ防止に波打つ網状のコンクリート壁が設置されているけれど、あれそっくりだ。
谷地形に沿って作られているから建物内部も高低差があって、地上階から降りたところにまた地上階が現れたりする。

カルティエの看板の向こうに、例の宗教施設の屋根が見える。
異質なものが隣り合っているようでいて、実はそう異質でもないのかもしれない、と思わせる景色。
京都の古いお寺がそこにあるのとは、やっぱり全然違うのだ。

ヒルズ」はオープンしたとはいえ、まだまだ工事中のエリアがたくさんあって、あちこちが通行止めになっていたりする。
地図を見ながら、少しでも開発から取り残されたエリアがあれば、この際行ける限り全部行って見てみることにした。

ヒルズ」のすぐ横に、そこだけ低層民家の一画が。
一部が駐車場になっているところを見ると、ここも遠くない将来、また消えてしまうのだろう。

大通りに出てしまわないよう、小さな路地を選んで歩いていると、地図上にとある写真家の事務所を発見。
名前からして、あの、猫写真で知られる写真家だ。
建物の前まで行ってみると、猫や他の動物モチーフの装飾が施された、可愛いおうちだった。
しかしまぁ、こんなすごい立地にあるんだ...とちょっとびっくりした。
時価が凄そう。

外苑東通りを南に渡り、さらに小さな路地を選んで細かく歩く。
このあたりはとにかく高低差がすごくて、急な坂に「鼬(いたち)坂」「鼠坂」「狸穴(まみあな)坂」といった動物の名前がつけられているのも、また趣深い。
行き止まりというか、どこにも抜けず一周して戻ってくるような小路も多く、住人でもないのに怪しまれるかもとちょっとドキドキしながら歩いた。
古いものが残っているかもという期待通り、有形文化財指定されたアパート(兼ギャラリー?)や、現役で人が住んでいる、古いけれど味のある建物もいくつかあった。

だんだん日も暮れてきて、夜に予定もあったので、散策はここまで。
この日は昼からずっと歩いていたから、この時点でなんと8km以上、15000歩近く歩いていた。

東京の都心が全て巨大ディベロッパーに開発されてしまう前に、自分の足でまた歩きに行きたい。

時が行けば幼い君も

「汽車を待つ君の横でぼくは 時計を気にしてる」
という歌詞から始まる曲が耳から離れなくなったのは、一週間経ってもまだ残っている、日陰のなごり雪を見たからだった。

コロナ禍で毎年期限延長されてきた飛行機のマイルが、この3月末でついにもうこれ以上は延長されなさそうだと分かって、貯まったマイルで行けるところをにわかに探し始めた。
とはいえ、家族みんなで行けるほどのマイルはなく、どうがんばっても自分一人分。
完全にレジャーとしての一人旅も考えたのだけれど、今回はなんとなく、気分的にどうしても地元方面で親しい人々に会いたいなと思って、行き先は関西に絞ることにした。
本当は一人で身軽に動きたかったのだけれど、夫と話し合った末、子ども一人は連れて行ってほしいということで、小学生の長男だけを連れて行くことにした。
長男にしろ次男にしろ同じ運賃がかかるのだけれど、次男は何度乗せても飛行機が苦手のようなので、ここはまぁ長男かなということで。

いろいろ消去法で日程が決まったので、まずは往復の便を押さえる。
それからまず、一番都合がつきにくそうな中高時代の親友に、会えそうな日程を打診した。
それと並行して、長年通っていた&関西に行くときには必ず行く美容院を予約。
ちょうど髪が限界になる頃の関西行きだったから、タイミングが合ってラッキーだった。
親友から返信が来たので、次に大学時代の親友に打診。
こちらもすんなり日が決まって、残るはいつでも都合がつきそうな母に連絡。
こちらもすんなり会えることが決まった。
都心から離れた実家まで行くと時間のロスが大きいので、日数の限られた今回は実家泊ではなくどこか宿を取ることにして、めちゃくちゃ狭そうだけどアクセスは良い新しめの宿に、ひとまず予約をいれた。

こうしてあれよあれよという間に、バラバラのパズルのピースがぴたりとひとつにハマったのだった。
こんな風に予定がぴたりと決まる旅は、うまくいく気がする。

中高の親友には長男と同い年の男の子がいて、二人が顔を合わせるのはたぶん五年ぶりくらい。
大学時代の親友にも、長男が会うのは同じく五年以上ぶりだ。

コロナ禍はやっぱり、人と人との距離を、移動の自由さフットワークの軽さを、ずいぶん変えたんだな...と思う。
今回久しぶりになってしまった友人たちに会うのが、とても貴重な、重みのあることに思える。
母にしても、「生きているうちにあと何回会えるかな」とふと思ってしまうような、そんな稀少さを、「人と会う」ことに感じたりしてしまうのだった。

自分も、長男も、友人たちも、母も。
「今」の年齢、「今」の状態で会うのはもう二度とはなくて、次に会うときには必ずお互いどこかが変わっている。
会える時間を大切に、慈しみたい。