新潟旅行紀①一日目前半 燕三条でハッスルする

夫が貯めていたJRポイントを使い、通常よりお得に行ける「どこかにビューン」という企画で、旅行に行くことになった。
日程だけ決めて、行き先は4つの新幹線駅の中から最後はクジで決まるという企画。
家族みんなの都合がつく週末となるとほぼ一択だったので、先に日程を押さえ、抽選開始となる三週間前に申し込む。
4つの組み合わせは(上限はあるものの)何度でもトライできるので、「この4つならまぁどこでも」という組み合わせが出たところで決定ボタンを押し、翌日抽選結果が送られてきて、ようやく往復新幹線の時間や行き先が決定したのだった。

今回の行き先は、4つの中で私的に本命だった「燕三条」。
言わずとしれた、金物・洋食器の生産地だ。
いつかは行ってみたいと思っていたチャンスが突然やってきたので、慌てて情報をリサーチ。
まずは急いで宿を取り(私と夫)、現地での足となるレンタカーを押さえ(夫)、行きたい場所をピックアップして(私)、なんとなくの行程が出来上がった。
こういうとき、旅好きの夫と私の連携は驚くほどスムーズだ。

そして迎えた、二泊三日の旅。
初めて乗る上越新幹線に、鉄道好きの息子はもちろん、大人もちょっとテンションが上がる。

東京駅を出て二時間弱、ちょうどお昼頃に燕三条駅に到着した。
新幹線改札の出口にカトラリー像があって「おぉ」となる。
もちろん腕でバッテンのポーズを撮って記念撮影をした。

燕三条」という自治体は実はなくて、「燕市」と「三条市」を合わせたエリアをそう呼ぶらしいのだけれど、この両市は何かとしのぎを削っているらしい。
たとえば新幹線の駅は「燕三条」だけれど、そのすぐ近くの高速インターチェンジは「三条燕」。
駅の改札を出たところから、もう既に行く手がきっぱり左右に分かれていて、思わず笑ってしまった。

夫がレンタカーの手続きをしている間に、車で使うものたちを手荷物に入れ替える。
ふと見ると、燕口と三条口で色が違っている。
それぞれ、銅とステンレスの色だろうか。

レンタカーで、まずはお昼ごはんスポットへと向かった。
燕三条のグルメと言えば、背脂ラーメンらしい。
事前に調べておいた老舗中華のお店は、車で15分ほどの距離にあった。
行ってみると、ひっきりなしに客が来ている。
これは期待大。

座敷席に通してもらい、定食2つ(半ラーメンセット)と、ギョーザ4個セット、子ども用にチャーハン、ラーメンを一つずつ注文。
すると、オーダーを取っていた若いお兄さんの顔が途中で曇った。
あ...もしかして量多い?
「えーと...うちけっこう量あるんで、お子さまのラーメンは半ラーメンで足りるかと思います」
「じゃあ最後のラーメンはなしで」
ということで、ラーメンだけ減らしたのだけど、来てみたら半ラーメンは軽く普通のサイズだった(笑)


この写真でも一部で、この後に野菜炒め定食が。
「ほんとに食べれるのこれ?」と笑えてきたけど、最後は夫が完食。
さすが、学生時代「バケツ」と呼ばれていただけある(笑)

ギョーザは4個といえども一つが3個分ぐらいのジャンボサイズだった。

背脂ラーメンは見た目よりあっさり。
定食の野菜炒めも牛スジ煮込みもすごくおいしくて、客がひっきりなしなのも納得のお店だった。

今日はもうこれ一食で足りるのではというぐらい満腹になって、次は私のメインイベント「ストックバスターズ」へ。
キッチン用品(プラス日用品も少し)のアウトレットで、燕三条に行くなら絶対行きたかったのだ。

ストックバスターズの店舗は広さはそこそこ(中規模の平屋のスーパーぐらい)だったものの、品数の多さは思った以上。
しかも安い。アウトレットとはいえ、安い。
たとえば元値1000円するものが、「在庫過多のため」100円になっていたりする。

ざっと10分見たところで、「これはヤバい、長居決定だわ」と夫に報告。
もともとここは私だけで回り、夫は子どもたちを連れてどこかにドライブしてきてもらおうと思っていたのだけれど、雨がけっこう降り出していたのと、子どもも夫も眠気のピークが来ていたのとで、結局駐車場で待つという。

次の移動もあるので、長居とはいえ与えられた時間は約一時間。
ひとまず全体を駆け足で見て、持ち帰れるサイズでお得なもの、探していたもの、知人へのちょっとしたお土産になりそうなものを見繕う。
おしゃれな雑貨屋で見たことあるものとすごく似た商品が、その1~3割ぐらいの値段で置いてあったりして、これが100均とかならパチモノだろうと思うのだけど、なにせここは燕三条
OEMの製造元商品である可能性が高いのだ。
異様に安くなっている商品には、ちゃんと「在庫過多のため」とか「製造終了のため」とか理由が書いてあるのも安心。
「1000円だったら買わないけど、100円だったら買うわ!」という便利グッズが本当に100均並みの値段でたくさんあって、心の中が大忙しだった。

まだ旅の序盤なのに、エコバッグいっぱいの雑貨を買い込んで車に戻る。
夫に「買いすぎ」と叱られるかと思いきや、「...一時間でよくこれだけ買えたね」とちょっと感心された。
いや、もっと買えたんだけど(笑)
たぶん、膨大な商品の中からどれがお得か、夫はよく分からないのだと思うけれど、普段からキッチン用品を見るのが趣味の私にとっては、「これは都内でも買える価格」とか「これは100均と似てるけどクオリティが全然違う」とか「食洗機不可だからアウト」とか、判断が早いのだ。

写真は帰宅してから撮った戦利品の一部。
また追い追い使い勝手をリポートする予定。

食道具道楽

少し前に届いていたふるさと納税返礼品の鉄板に、使用前のシーズニングを施した。
「熱する」→「油を引く」→「熱する」→「油を引く」→を何度か繰り返して、最後は野菜くずを炒める作業だ。

完全に何も塗っていない状態に弱火で長くヤキを入れ、油を薄く塗って冷ます。

それを3,4回繰り返して油膜を作り、その後ストックしておいた野菜くずを炒めて鉄臭さを取り、使える状態になった。

鉄板の厚さは6mm。
約25cm四方だけど、持った感覚で2Lのペットボトル以上の重さはある。
面積的にはもっと大きい鉄板が欲しかったけれど、そうなると今度は持ったり収納したりするのが大変なので、コンロひとつの上に収まる大きさで手を打った。
この大きさならアウトドアにも持って行けそう。

最初に焼いてみたのはお好み焼き。
最近はフライパンではなく、厚みのあるスキレットで焼くようにしていたのだけれど、いかんせんスキレットは小さい。
四人分焼くには時間がかかってしまうので、今回入手した鉄板とスキレットを並行して使うことにした。

お好み焼きにしろ肉にしろ餃子にしろ、「焼く」にはやはり金属の厚みがモノを言うんだなと、つくづく思う。
表面を焦がさずに内部にしっかり火が通るから、食材の水分を逃がさないのだろう。
大阪の実家では昔、道具屋筋(東京で言う合羽橋)で業務用の鉄板付き座卓を買ったことがあって、それはけっこう長年、お好み焼きや鉄板焼きに活躍していた。
当時は「なんでわざわざ...」と思っていたけれど、今になると「分かる」と思う。
美味しいものを食べるための道具に凝るのは、そういう育ちもあるのかもしれない。
さすがにスペース的に座卓は買わないけど。

新しい鉄板で餃子を焼いてみたものの、やはりフタがあった方が仕上がりが良さそう。
ぴったりの大きさの四角いフタがなかなかないから(結構なお値段のものならあったけど)、金属加工業をやっている夫の友人にいつか頼んでみようかと相談中。

どんだけ凝るねん。

まるごと谷が消えた街

六本木周辺の土地を次々開発していくことで有名なディベロッパーM社が、また新たな巨大ビルをオープンさせたと知ったのは昨年秋のこと。
あのあたりにそんな大きな土地なんてあったっけ...?と確かめてみたら、かつて迷い込んでその不思議な雰囲気に魅了された大きな窪地が、谷まるごとその巨大ビルになったのだと知って驚愕した。
あの不思議な谷底が、またじっくり訪れてみたいと思っていた谷底が、消えてしまったのだ。

その谷地は、かつて働いていた職場からそう遠くない場所にあった。
当時一度行ってみたかったお店があって、午後から出勤の日にお店を訪ねた後、「そういえばこのあたりって全然知らないな」と歩いてみることにした。
Googleマップで調べてみると、周辺には敷地の大きなM社のビルばかりなのに、そこだけぽっかり小さな名もなき建物がこちゃこちゃと並んでいる。
さらに近くには、すごい都心にもかかわらずまとまった敷地があり、宗教施設の名前が表示されている。
興味を惹かれて、そのあたりを散策してみることにしたのだ。

今はそっくり谷ごと消えてしまったそのあたりは、かつて「我善坊谷」と呼ばれていて、その地名で調べると、街歩きをする人にはやはり独特の人気があったようだ。
私が行ったのはたぶん今から十年ほど前で、その頃にはもうM社があたり一帯を買い占めて、最後の立ち退きを待つばかりだったのだろう。
地図上のこちゃこちゃした建物は明らかに空き家になっているものも多く、手入れされていない雑草や木々がはびこって、人の生活が感じられない、ゴーストタウンのような雰囲気を醸していた。
横にある巨大宗教施設の名前がまた恐ろしげな字面なので、谷地であることとも相まって、地面から冷気が這い上がってくるような、何とも言えない雰囲気があったのだった。

先日一人で一日外出する機会があって、ルート的にちょうど行けるチャンスだったので、新しい「ヒルズ」と、その周辺の変わり方を見てみることにした。
「前に歩いたとき、なんで写真を撮っておかなかったんだろう?」と残念に思っていたけれど、今回現地に行って思い出した。
なんだか、写真を撮ってはいけないような不気味さがあって、一人だったこともあって足早に通り抜けたのだ。

新しくできたM社の「ヒルズ」は、植物を模したのか、曲線が多様されたアールヌーボー調(?)の不思議な建物。
よく山道の車道沿いに、土砂崩れ防止に波打つ網状のコンクリート壁が設置されているけれど、あれそっくりだ。
谷地形に沿って作られているから建物内部も高低差があって、地上階から降りたところにまた地上階が現れたりする。

カルティエの看板の向こうに、例の宗教施設の屋根が見える。
異質なものが隣り合っているようでいて、実はそう異質でもないのかもしれない、と思わせる景色。
京都の古いお寺がそこにあるのとは、やっぱり全然違うのだ。

ヒルズ」はオープンしたとはいえ、まだまだ工事中のエリアがたくさんあって、あちこちが通行止めになっていたりする。
地図を見ながら、少しでも開発から取り残されたエリアがあれば、この際行ける限り全部行って見てみることにした。

ヒルズ」のすぐ横に、そこだけ低層民家の一画が。
一部が駐車場になっているところを見ると、ここも遠くない将来、また消えてしまうのだろう。

大通りに出てしまわないよう、小さな路地を選んで歩いていると、地図上にとある写真家の事務所を発見。
名前からして、あの、猫写真で知られる写真家だ。
建物の前まで行ってみると、猫や他の動物モチーフの装飾が施された、可愛いおうちだった。
しかしまぁ、こんなすごい立地にあるんだ...とちょっとびっくりした。
時価が凄そう。

外苑東通りを南に渡り、さらに小さな路地を選んで細かく歩く。
このあたりはとにかく高低差がすごくて、急な坂に「鼬(いたち)坂」「鼠坂」「狸穴(まみあな)坂」といった動物の名前がつけられているのも、また趣深い。
行き止まりというか、どこにも抜けず一周して戻ってくるような小路も多く、住人でもないのに怪しまれるかもとちょっとドキドキしながら歩いた。
古いものが残っているかもという期待通り、有形文化財指定されたアパート(兼ギャラリー?)や、現役で人が住んでいる、古いけれど味のある建物もいくつかあった。

だんだん日も暮れてきて、夜に予定もあったので、散策はここまで。
この日は昼からずっと歩いていたから、この時点でなんと8km以上、15000歩近く歩いていた。

東京の都心が全て巨大ディベロッパーに開発されてしまう前に、自分の足でまた歩きに行きたい。

時が行けば幼い君も

「汽車を待つ君の横でぼくは 時計を気にしてる」
という歌詞から始まる曲が耳から離れなくなったのは、一週間経ってもまだ残っている、日陰のなごり雪を見たからだった。

コロナ禍で毎年期限延長されてきた飛行機のマイルが、この3月末でついにもうこれ以上は延長されなさそうだと分かって、貯まったマイルで行けるところをにわかに探し始めた。
とはいえ、家族みんなで行けるほどのマイルはなく、どうがんばっても自分一人分。
完全にレジャーとしての一人旅も考えたのだけれど、今回はなんとなく、気分的にどうしても地元方面で親しい人々に会いたいなと思って、行き先は関西に絞ることにした。
本当は一人で身軽に動きたかったのだけれど、夫と話し合った末、子ども一人は連れて行ってほしいということで、小学生の長男だけを連れて行くことにした。
長男にしろ次男にしろ同じ運賃がかかるのだけれど、次男は何度乗せても飛行機が苦手のようなので、ここはまぁ長男かなということで。

いろいろ消去法で日程が決まったので、まずは往復の便を押さえる。
それからまず、一番都合がつきにくそうな中高時代の親友に、会えそうな日程を打診した。
それと並行して、長年通っていた&関西に行くときには必ず行く美容院を予約。
ちょうど髪が限界になる頃の関西行きだったから、タイミングが合ってラッキーだった。
親友から返信が来たので、次に大学時代の親友に打診。
こちらもすんなり日が決まって、残るはいつでも都合がつきそうな母に連絡。
こちらもすんなり会えることが決まった。
都心から離れた実家まで行くと時間のロスが大きいので、日数の限られた今回は実家泊ではなくどこか宿を取ることにして、めちゃくちゃ狭そうだけどアクセスは良い新しめの宿に、ひとまず予約をいれた。

こうしてあれよあれよという間に、バラバラのパズルのピースがぴたりとひとつにハマったのだった。
こんな風に予定がぴたりと決まる旅は、うまくいく気がする。

中高の親友には長男と同い年の男の子がいて、二人が顔を合わせるのはたぶん五年ぶりくらい。
大学時代の親友にも、長男が会うのは同じく五年以上ぶりだ。

コロナ禍はやっぱり、人と人との距離を、移動の自由さフットワークの軽さを、ずいぶん変えたんだな...と思う。
今回久しぶりになってしまった友人たちに会うのが、とても貴重な、重みのあることに思える。
母にしても、「生きているうちにあと何回会えるかな」とふと思ってしまうような、そんな稀少さを、「人と会う」ことに感じたりしてしまうのだった。

自分も、長男も、友人たちも、母も。
「今」の年齢、「今」の状態で会うのはもう二度とはなくて、次に会うときには必ずお互いどこかが変わっている。
会える時間を大切に、慈しみたい。

暦の上ではフェブラリー

そこそこ積もった雪も、日陰の片隅で固まっている以外はすっかり溶けてしまった。
雪が降った後の空気は、何か清浄な感じがするのは気のせいだろうか。

次男の入園グッズ作り用に可愛い布を探したり、降って湧いた旅行に向けて宿や観光情報を調べたり、確定申告の準備をしたり、役所に申請する書類について聞きに行ったり、何かと毎日せわしない。
気がついたら3月になっていて、その次に目が覚めたら4月になっているのだろう。

2月の空気が好きだ。
早ければ1月末ぐらいから、空気は一年で一番冷たいのに、空の色に春が兆す。
陽は日に日に長くなり、冬と同じ時間帯になっても空がまだ明るいのを見て「あぁ、もうすぐ春だ」と思う。
毎年「一年で一番好きな季節かもしれない」と思うけれど、3月の終わりぐらいにも、秋の始まりにも同じことを思うから、毎回「いつが一年で一番好きなんだっけ」と自分でも分からなくなる。

ここ15年ほどは、今時分から私の鼻が花粉を検知し始め、大好きな季節なのに外を楽しめないというジレンマが悲しかった。
でも、舌下免疫療法を始めてもうすぐ三回目の春を迎える今年、今のところマスクなしでも花粉症状は来ていない。
正確に言うと、花粉の気配は感じるのだけれど(長年苦しめられてきたからヤツを吸い込んでいる感覚は分かる)、それがくしゃみや鼻づまりにつながらないのだ。
そのことがどれだけクオリティオブライフを上げるか、花粉症にならなければ本当に身に染みては分からなかっただろう。

スギ花粉症の仲間たちに、「舌下免疫療法は絶対やった方がいいよ!」と声を大にして勧めたい。

大雪、ラップの芯、ドラマ

昼頃から降り始めたみぞれは予報通り雪に変わり、地面はみるみるうちに粉砂糖をふりかけたように白くなった。
ちょうど下校時間の長男が着く頃なので、玄関でタオルを用意して待つ。
「ただいまー!」と元気よく入ってきた長男は、「Yくんが30分だけあそべるって!」とすぐにまた出て行こうとするので、「待て待て」と制し、最低限の身支度をさせる。
登下校を一緒にしているYくんのママからも、ちょうどLINEが来た。
「○時までだからね」と言うと、長男は「わかった!」と嬉しそうにまたすぐに飛び出していった。

冷え冷えになって戻ってきた長男と、家にいた次男とで、しばしおやつタイム。
「雪の日はホットミルクにしてあげるね」と言うと、「そうだったー!」と長男は幼稚園の頃を懐かしみながら、おいしいおいしいとあたたかいミルクを飲み干した。

Yくんのママから再びLINEが入る。
明日の登校時の大雪に関することかな?と思いきや、「今度の図工の制作でいるものってわかりますか?明日持って行かなくてはいけないそうですが、本人に聞いても分からないうえに、連絡帳にも書いてないんです」とのこと。
出た!(笑)
小学生あるあるの、急に言われるやつだ。
しかもYくん、情報少なすぎ...(笑)

確か、ラップの芯をけっこう前に持たせた記憶がある。
その直前、ちょうど数ヶ月に一度のタイミングでラップがなくなり、ふと「もしかしてこれ、急に言われるときがあるかも」と思って捨てずにおいたら、まさに数日後、図工の持ち物プリントが来たのだ。
トイレットペーパーの芯でもよかったのだけれど、せっかく取っておいたのでラップの芯を持たせた。

「トイレットペーパーの芯でもいいみたいですよ」と送ると、お礼の返事が来た。
そのあと長男に確認すると、「紙コップ4個もいるよ」と言われて「そうだった!」と思い出したので、Yくんママに追って連絡すると、ガーン...の絵文字と共に「ありません」。
そりゃそうだろうよ!と爆笑。
Yくんのママは実は西洋人で、日本の学校文化には全く馴染みがない。
この大雪の中買いに出たりしたら気の毒なので、「たぶん少しは学校に用意があるんじゃないでしょうか」と送っておいた。

そうこうする間にも雪はどんどん積もり、いつの間にか大きなぼたん雪に変わっていた。
今日は習い事はお休みにして、晩ごはんのカレーももう作ってあったから、そこからは各々、家の中で好きなことをして過ごす。
最近は兄弟でけっこう遊んでくれるから、私は今がチャンスとばかりに、録りためたドラマを少し消化することに。
スマホでも見られるから、子どもたちがいてもイヤホンをつけて一人で楽しめるのだ。

楽しみにしていた「不適切にもほどがある」第二話。
今回も、期待以上に面白かった。
一話だけなのか分からなかった突然のミュージカルシーンは今回もちゃんとあって、しかも前回よりパワーアップしていた。
ボーカルもやっている阿部サダヲはまぁ分かるとして、仲里依紗が歌上手くてびっくり。
ダンスもなかなかキレッキレだった。
阿部サダヲも、ボーカルをやっているとはいえ、尾崎豊のパロディとすぐ分かる抜群の歌唱力。

そして、仲里依紗がキレるシーンのセリフが共感できすぎて、巻き戻して(←昭和)二回見てしまった。
「俺にできることがあったら何でも言ってね」という夫や上司の言葉に対する、痛烈なセリフ。
「あなたができることって何?私はあなたじゃないから何ができるか知らないんですけど?ていうかもっと言えばあなたにできることを考えるっていう新たなタスクが生まれるんですけど?」(意訳)には、「それな!」と頷きすぎて首がもげそうだった。
夫(に限らないけど)ってほんと、そういうことを言いがち。
うちの夫はまぁそれなりにやる方だとは思うけれど、それでも時々、「なんで私が仕事を振る係に勝手に任命されてんの?振る仕事を考えるのも多大な労力要るうえに、その間私の手が止まるんですけど?てか私あなたのマネージャーじゃないから!自分で考えて」と言いたくなる案件が発生する。
「タスクを振る方」の労力が、こうしてもっともっと可視化されていくといいなぁと切に思った。

その後さらに「光る君へ」を見て、ドラマタイム終了。
雪で家にこもると決めたせいで、かなりゆっくりした一日になった。

育成中

一年半ぐらい前に使い始めた銅製の玉子焼き器。
少しずつだけれど、エイジングが進んできた。
使い始めて半年ぐらいの状態と、一年半ぐらいの状態の比較。

裏側はこんな感じ。

Fさんの年季にはほど遠いけれど、これもまたひとつの味だ。
塩の教え/骨董レベル - 珈琲とsofaのあるところ

最初の半年は、長男の幼稚園お弁当があったので週1~3ペースで使っていた。
その後の一年はぐっと減って、月1~2ぐらい。
春からは次男のお弁当作りが始まるから、また週1~3ペースになりそう。
基本は給食だけど、食べなかったら毎日お弁当地獄になるから、次男がちゃんと給食を食べてくれることを祈っている。