medicine

立ち寄ったカフェで、大好きだった懐かしい雑誌に再会した。
2000年代の後半に出会って、休刊になるまでほぼ毎号読んでいたリンカラン

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家事とか、出産とか、時々海外の生活とか、その時々によって特集は違ったけれど、「暮らしの手帖」とも「クウネル」とも微妙に違う、私にとって絶対的に好きな何かが、リンカランにはあった。

この雑誌に、心底癒されていた一年があった。

20代の終わり、必要最小限の仕事と人づきあいしかせず、傷ついた羽をひっそりと癒すように生きていた一年があった。
今で言う完全なパワハラ事件に遭ったのだけれど、当時はもちろんそんなことは分からず、ただただ呆然としていた。
その頃話を聞いてもらったある人に「自分の体感としては、突然ものすごい爆風に曝されて、気がついたら全身にガラスの破片が刺さっていた。今ひとつずつ、その破片を抜いていっている」と話したことを覚えている。

まぁ、そんな大変だった怪我の養生をしていた頃に、初めて「リンカラン」を手にしたのだった。

そこは、とにかく優しい世界だった。
悪意とか、他者への攻撃とか、不機嫌とか不寛容とか、そういったものと対照的なことだけがそこにあるように、慎重に選び抜かれた世界だった。
植物とか、長年使っている道具とか、手仕事とか、赤ちゃんのいる暮らしとか、仲の良い人々とか。

そうした優しい世界だけに触れているうちに、一年が経ち、拾う神が現れたりしながら、私は徐々に復活への道筋を辿っていったのだった。

引っ越しやモノの大整理を経て、雑誌もずいぶん処分したけれど、リンカランだけは今でも何冊か大事に取ってある。
時々読み返すたびに、あの頃の、ひっそりとした生活を思い出す。
リンカランは私にとって、じんわりと効く漢方のようなお薬だった。