一緒に暮らす

珍しく連休だった夫と、家のことをいろいろと済ませた一日の終わり。

ベランダに物を置きに行った夫が「夕焼けがすごいよ」と言うので、ケータイを持って外へ出た。

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日中家にいない夫は、ベランダからの夕陽を、たぶん数えるほどしか見たことがない。


この日はもうすぐ歩き始めそうな息子のために、部屋の模様替えに半分ほど着手した。
それに伴って必要になった目隠しの布を、夫がいるうちにやってしまおうと、ミシンで作成。

夕方のTVニュースを聞きながら、
夫に遊んでもらってご機嫌ハイテンションな息子の声。
その中でチクチクまち針を差していたら、ふと「あ、これは描いていた未来だ」と思った。

独身の頃は、相手と会うのは「デート」であって、家事をしながら会っていることはほとんどない。
だけど結婚は、家事をしたりごはんを食べたりする、その「生活」の中に相手がいるから、休日に家のこととデートがいっぺんにできていいな、と思っていたのだった。かつて。

誰かと一緒に暮らせる時間は、人生の中で思いの外少ない。
晩婚でよかったことのひとつは、そのことをしばしば思い出せること。

リピートの予感

少し前に目をつけたカフェを訪れるチャンスが到来。

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ひっそりと2階に佇むそのお店は、私が思うリピートの条件、すなわち「次に来たときに座りたいと思える席が複数あること」をばっちり満たしていた。

この日は窓際の、おそらく一番座りたいと思える席を偶然GET。

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本を読みながら、ふとしたときに外に視線を向けられるお店は心地いい。
さらにここは、コーヒーのおかわりが割引ときている。

これはもう、リピートするしかない予感。

知っていた場所

夫と表参道で待ち合わせ。
息子と3人でランチの後、夫が国立新美術館に行きたいと言うので、腹ごなしがてら乃木坂まで歩くことにした。

東京都心の知らない道を歩くことが、だんだん趣味のようになってきた。
地下鉄に乗ってしまえば見ることのない風景。

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青山墓地の中を初めて通った。
後ろに六本木ヒルズが見える。
これだけ広大な霊園が、いつどんな経緯で作られて、そして周りがどんな風に変わって行ったのか、とても知りたくなってきた。

夫&息子と国立新美術館前で別れた後、次の用事までに時間があったので、また知らない道を歩いてみることにした。
行ったことのない外苑前の銀杏並木を目的地に据え、乃木坂から青山一丁目へとてくてく歩く。

途中何本か小道があって、そこには一軒家がまだたくさん残っていたり、都営の集合住宅がひっそりと佇んでいたりするのだった。

そして外苑前へ到着。

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ここでやっと思い出した。
私はここに来たことがあった。

数えてみたら七年前。
まだ東京に住むなんて思いもよらなかった頃。
一眼レフを買って間もない頃で、東京出張の合間に、有名だと聞いた銀杏並木を撮りに行ったのだった。
あれはここだったのだ。

その街をよく知らない頃に出会った風景が、何年か後に「ここだったのか」とつながる、たまらなく好きな瞬間。

ぱかぱか

ジャケ買いワイン。

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ものすごく安い割に、意外とおいしい。
調べたら、そういう理由でけっこう人気のワインみたい。

しかしまぁ、初めてアルパカに出くわした人類は、驚いただろうなぁ。
刈られてない、伸び放題のアルパカ。

家族の風景

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二十代の頃からの後輩が、夏に三人目の子どもを産んだので会いに行った。

久しぶりの赤ちゃんを堪能。
一年前は息子もこんなに小さかったんだ。
赤ちゃんは柔らかくてあたたかくて少し湿っていて、そしてとてもいい匂いがした。

昼過ぎに上のお姉ちゃん二人がそれぞれ学校と幼稚園から帰宅すると、おうちの中は子どもだらけになって、それはそれは賑やかに。
お姉ちゃん二人も交えて、私が持っていったバウムクーヘンでティータイム。

姉妹二人と赤ちゃんを抱いた後輩が並んでテーブルに座っているのを見たら、「家族」という言葉が急にリアリティをもって迫ってきた。
うちはまだたったの三人家族で、そのうち一人はこの世に来てまだ一年の、「新米の人間」という感じ。
だけど目の前の小学生と幼稚園児はもう明らかに意志と人格を持った一人の人間で、家にそういう子どもたちが何人もいるのが、なんだかとても新鮮だった。

思えば、知り合ったとき、後輩はまだ十代だった。

誰かの家の食卓

スーパーの鮮魚コーナーを歩いていたら、30㎝ぐらいある大きな白身の魚が安く売られているのを発見した。
これは何とかして使いたいなぁといろいろ思案し、スマホで調べたらオーブンで料理できそうなことが分かったため、近くにいた店員さんに渡してバックヤードで捌いてきてもらうことにした。

待つこと10分近く。
その間に(ほとんど買ったことない)タイムやローズマリーをかごに入れる。

しばらくして、鮮魚スタッフと思われるおじいさんがパックを持って出てきて店員さんを探していたので、「すみません、それクロソイですか?だったら私ですー」と声をかけて受け取った。

すると、一瞬迷うような間を置いて「それ、どうやって食べるんですか?」と訊かれた。
もしかしてプロから見た何かいい食べ方が?と期待して「えっ、オススメの食べ方があるんですか?」と訊いてみると、おじいさんは照れたように笑って「いやいやそういうわけじゃないんだけど。どうやって食べるのかなぁって思って」と。

急に、心にポッと灯りがともった気がした。

バックヤードのおじいさんは、きっとお客さんと直接しゃべる機会はほとんどないだろう。
そんな中、時々表の店員さん経由で魚の処理を頼まれては、これはどんな人がどんな料理にするんだろう、何人家族で食べるんだろうと、いつも想像していたのかもしれない。
あるいは、今日の魚は大きくて丸々一匹はなかなか売れないかもと思っていたのに、調理依頼が入ったから、バックヤードで「売れたぞ~?」と話題になっていたのかもしれない。

そういう、知らなかったおじいさんの仕事の日常に(もっと言えば誰かの人生のひとコマに)自分が入り込んだような気がして、嬉しかったのだ。

「オーブンで焼こうと思って。さっき調べたら、アクアパッツァっていう、ほら、こういうハーブと」とかごの中を見せたところ、おじいさんはほぅ、というように覗き込んでから、「素敵な食べ方ですねぇ」と微笑んで去っていった。

あのおじいさんは、バックヤードに戻ってから同僚に「さっきのクロソイさぁ、オーブンで焼くんだって。なんかハーブ持ってたよ」とか話すだろうか。

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