みっしり

『光の犬』を読み終わった。

帯にあった「読後、しばらく黙っていたくなる小説だ」という言葉そのままの、静謐な余韻が続いている。

 

大阪にParis hという大好きなパン屋があって、中でもドライフルーツやナッツが詰まっている系のパンが本当に美味しいのだけれど、

そこのパンを買っていつもびっくりするのは、その重さ。

とにかく「みっしり」している。

噛めば噛むほど、生地の味わいも、詰まっているフルーツの味わいも増す。

 

『光の犬』を読んでいる途中、何度となくそのParis hのパンを思い出した。

著者の他の本もそうだったけれど、本当に「みっしり」した小説だった。

 

 

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読み終わって何週間か経ってから、不思議としばしばよみがえってくる部分がある。

 産婆となった登場人物が、ある医者の元へ修行に行き、そこで医者に言われた言葉。

 

「音ははやさだ。はやさが音になるといってもいい」

 

妊婦に与える白湯を急いで持ってきた彼女に、妊婦が帰った後で医者が注意するのだ。

「分娩にもっともふさわしくないのは、はやさなんだ。 もちろん、分娩にかぎらない」

眠っている赤ん坊を起こすには、窓や障子をすばやく開け閉めするだけでいい。赤ん坊にとって、はやい音は不快である。

 

一歳の息子の昼寝をできるだけ引き延ばそうと、出入りする戸をそーっとそーっと開け閉めするとき、毎回のようにこの言葉を思い出す。

本当に、音ははやさだ。
そして、眠っている赤ん坊を起こすには、窓や障子をすばやく開け閉めするだけでいい。本当に。

描かれていた産院の風景は、静かで、ほの暗く、いかにも落ち着いてお産ができそうな場所に思えた。

もしもう一人産めることになったら、こんな産院で生んでみたい気がする。

珈琲と本があればよい

「静かな空間で珈琲の飲める喫茶室です」と書かれた黒板のある階段を上っていくと、ガラスをはめた小さな木製のドアがあって、そこを開けると挽きたての珈琲豆がふわっと鼻に飛び込んでくる。

ここに来るのももう3回目になった。

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静かに考え事をしながら読む本に、とてもしっくりくる場所。

数ページ読んでは、大事なところを手帳にメモする。
時折窓の外を見ると、風で木の葉が揺れているのが見えて、あぁ寒そう...と思う。
また数ページ読んで、スマホで気になる点を検索して調べ、ついでにSNSを見たりして、だいぶ冷めてしまった珈琲を飲む。

気づいたら二時間近く経っていた。

東風吹かば 匂いおこせよ

数年前に知ってから、一度訪れてみたかった羽根木の梅園へ。
公園に着くと、あたり一面、ふんわりとした梅の香りに包まれていた。

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ちょっとした食べ物もあって、取り損なったお昼をここで食べることに。
まだまだ寒い空気の中、豚汁でほっこり。

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桜よりも、梅見の方が好きかもしれない。

大人と子どものにちようび

日曜日の昼下がり、同学年の子どもを持つ三家族のパーティー。

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一歳の子どもが一同に会せば、それはそれは賑やか。
そして、子どもたちの絡みが天国のような可愛さだった。

私の子どもの頃の写真には、幼稚園や学校の行事を除けば、ほとんど全て自分の家族しか写っていない。
めくれどもめくれども同じような家族写真しか貼られていないアルバムに、あるとき気づいてハッとした。
親の友達や子どもつながりで家族ぐるみのつきあいをすることは、ほぼ皆無だった。

息子には、たくさんの家族と出会ってほしい。
子どものいる家いない家、きょうだいのいる家いない家、お父さんだけの家やお母さんだけの家、老人のいる家、病気や障害を持つ家族がいる家、ペットを飼っている家...。
いろんなおうちがあって、いろんな家族があることを小さいうちから知って、違和感なくつきあっていってほしい。

渦中にいながら気づいていたい

晴れた冬の日に、息子をベビーカーに乗せて。

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買い出し帰りの、ほんの数分の遠回り。
近所の公園のベンチに座って。

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私の好きな冬の低い日差しを浴びていたら、「幸せ」というのはたとえば今のこの時間のことだ、という気がした。

渦中にいるときにはなかなか気づかないものに、渦中にいながら気づいていたい。

つよいこグラスを買いました

コップを自分で持ちたがり始めた一歳の息子用に、以前友達に教えてもらった「つよいこグラス」を購入。

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敢えてガラスのコップを使わせることで、丁寧な物の扱い方を学ぶ、というコンセプトのよう。
ちょうど息子の手に収まるサイズ。270円。

雑貨屋のスタンプカードがあと150円でもう1つ押してもらえる、というときに、ちょうどそこにあったのだった。

お呼びでない

ようやく行ってみた、GINZA SIX。
お決まりの、水玉カボチャ写真もばっちり。

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時間があまりなくて足早に回ったこともあるかもしれないけれど、
びっくりするほど、欲しいものがなかった。
立ち止まりたくなるお店がなかった。
お呼びでない客層ということなのか。
それとも。

古きよき昭和の時代、
デパートは多くの大衆の胸をワクワクさせる場所だった。
今は、人々を一箇所に集める場所はなくなっているのかもしれない。
丸ビル新丸ビルやヒカリエやLUMINEにワクワクする人々、
無印やIKEAにワクワクする人々、
郊外のイオンやUNIQLOにワクワクする人々、
一点もの的な小さなお店にワクワクする人々。

一億総中流時代というのは、本当に限られた、稀な時代だったのだなぁと、しみじみ。