37℃の夏休み

暑さがすごい。
36度とか37度が一週間も二週間も続く夏なんて、聞いたことがない。
今年はさらに、息子の習い事送迎で最低二回は外に出る(しかも酷暑の中汗だくで自転車を漕ぐ!)から、記憶に残る暑い夏になりそうだ。

小学校の夏休みって、毎日どうやって過ごしていたんだろうとふり返っている。

終業式の日は、近所の祖母宅に通知表を見せに行くという習慣があった。
なぜそうなったのか定かでないけれど、通知表を見せに行くと毎回お小遣いをもらえるので、なんとはなしに行っていた。
姉と二人で行くのだけれど、通知表を見せて終わりではもちろんなく、そこからが長い。
祖母は孫たちを前に、ゆっくりおしゃべりしたかったのだろう。
学校の様子を聞かれたり、同年代の孫を持つおばあさん仲間の話をされたりと、とにかく話が長い。
下手に私も話すとそこから広がってさらに長くなるから、私はなるべく話を広げないように、広げないように返すのだけれど、姉がものすごくよくしゃべるので(今でもそう)、祖母との話が永遠に終わらず、私はいつも横で「早く帰りたい...」と話の切れ目を探っていた。
今思えば、子どもなんだから話の切れ目なんか考慮せず「もう帰りたい!」と騒ぎ出してもよかったのに、と言ってあげたくなる。
最後は何度か「ねぇ、もう帰ろうよ...」と姉の服を引っ張るようにして促し、夕方にようやく解放される...というような、どちらかといえば苦になる行事だった。

その恒例行事が終わると、夏休みが始まる。
7月末までにドリル系の宿題は終わらせることになっていたから、一日でも早く終わるよう、毎日午前中の涼しいうちにドリルやプリントをやりまくる。
家の中で一番涼しい和室で、扇風機をかけながら、時々、幼稚園から一緒だったよっちゃんも来て、一緒に宿題をしていた。
午前中は学校のプール解放もあったはずだから、その行きか帰りだったのかもしれない。

8月の初めには、毎年花火大会があった。
祖母の家の屋上から小さく花火が見えるので、その日は夕方から祖母の家に行く。
花火を見て、夜の8時ぐらいに帰宅して、その日か次の日のうちに、絵日記の宿題を花火で描いて終わらせるのが常だった。

お盆あたりには毎年、三泊四日の家族旅行があった。
小学生の頃の夏の旅行は水遊び系が多くて、川の近くにある温泉とか、日本海側の海水浴が多かった記憶がある。
それが終わると、夏休みももう残り少なだな...という雰囲気だった。

大きい恒例行事は覚えているけれど、その他の、圧倒的に多いふだんの時間は、いったいどう過ごしていたんだろう。
小3ぐらい以降は、姉と自転車で市民プールに行ったり、図書館で過ごしたりしていた記憶はあるものの、それも日中の一部だろう。
母がいったいどうやって子どもたちが複数いる夏休みを乗り切っていたのか、謎だ。
今度聞いてみよう。
さすがに、屋外で過ごせないような、こんな高温が続くことはなかっただろうけれど。