全部、春のせいだ。

渋谷駅を通ったら、マークシティから銀座線への通路のところで、かなり大勢の人(たぶん外国人)が窓の外を見ているので、つられるようにフラフラと見てみたら。

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ハチ公前広場の桜が満開だった。

久しぶりの渋谷駅では、銀座線のホームがもうだいぶできてきていて、なんとなく宇宙っぽい銀色のドームが空中に浮かんでいた。
一年ちょっと前の、この風景はもうない。
なくなる風景 - 珈琲とsofaのあるところ

春のせいか買い物欲が爆発して、ここ一年以上ワクワクしながら買うことのなかった洋服を、今の私としては恐ろしい金額買ってしまった。
フルで働いていた頃なら平気だったのだけど。
ぶるぶる。

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桜の妖気が漂う夕暮れ。

ゆびさきトング

最近使い始めて、その便利さに感激しているグッズがある。

一日で流行語になったレイワ、ならぬ、レイエ「ゆびさきトング」。

 

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前からずっと気になっていたのだけど、

いざ本気で探したら意外に欠品になっているサイトが多かったので、買えるときに買っておこうと、ヨドバシで発注、10日ぐらいかかってようやく届いたのだった。

 

またしても、新潟の燕三条製。

実はつい最近百均で似たような商品を見かけて、少し迷ったのだけど、

やっぱりずっと使えてしまうものだから、燕三条への信頼が厚い私(

燕三条への信頼 - 珈琲とsofaのあるところ

)としては、使うときにテンションが上がる方にしようと、これを選んだのだった。

 

使ってみたら、これがもう本当に便利。

トングというより、まさに指先。

挟むというより、指の代わり。

ハム(またはベーコン、薄切り豚バラ)を開封して保存容器に移すとき、衛生面から、今すぐ使う分以外はできるだけ手で触らないようにしたいのだけど、これを使うと一枚ずつはがすのがめちゃめちゃスムーズにできる!

あとは、油っぽいものを切るとき、押さえの左手の代わりとして使えるからいちいち手を洗わなくて済んで、調理がスムーズ!

バターを10gずつくらいに切って保存容器に移しているのだけど、手で触ると溶けてしまうバターを掴んで移動するのにもめちゃめちゃ便利。

油っぽいものに限らず、素手で触るといちいち手を洗わないといけない食材(生魚、生肉、にんにくetc.)は、だいたいこれで掴んだり押さえたりすればいい。

深さがある鍋の中のものを掴むとか、量をたくさん掴みたいなら普通のトングの方が向いてるけど、これは用途が違うから、普通のトングの他にもう一本あってもバリバリ活躍するなと思った。

 

気になってこの会社(オークス)の他の製品を見てみたら、びっくり。

上記のハチミツスプーンもこの会社のものだった。

さらにもうひとつ、ここのあくとりスプーンも持っていた。。

 

見てると他にもほしいものが出てきて危険。

ゆく年くる年

Eテレのおこさま番組、いきなり一斉に出演者交代という、春の嵐

見始めたのは息子が一歳になる少し前くらいだから、たかだか一年半ぐらい。
番組を見せている間はいつも私の家事タイムで、片手間に耳だけ聞いているだけだから、出演者にそれほど思い入れがあるわけではない。

なのになぜか切ない感じがしていて、なんだろうなぁと思っていたら、誰かがネットで書いているのを見て、あぁそうだこれだ、と思った。

それは、この出演者たちの頃のことを、息子がきっと忘れてしまうだろうということ。

たどたどしい振り付けで、勝手に踊れるようになっていたブンバボンも、
食い入るように見ていたパントのコーナーも、
大きくなった息子の記憶にはきっと残らない。
そうしたら、私が小さな息子と共有していたあのEテレの時間は、私だけの思い出になってしまうのだ。

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年をとって老人になって、親しかった人たちがどんどんあの世に行ってしまったときって、こんな感覚だろうか。

桜が満開になった日

都心部の桜は、今日満開になった。

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ある件で、紹介状を携えて大学病院へ。
治療というよりは、意見を聞きに行くという感じの受診だった。

一日の患者数が数千という大病院。
深刻な病状でもないのに行って、軽くあしらわれたらどうしようと少し不安だったけれど、結果的には、とても丁寧に時間を取って診てもらえたのだった。

そこを受診したのは、同じ病院の他科に時々かかっていてデータを照合してもらえるからだったのだけれど、
今日の先生はその場でその他科に連絡してくれて、主治医と相談した結果、現状では特に問題ないでしょう、との結論になった。
説明も丁寧にしてくれて、こちらが用意していた質問事項も全部聞けて、なんというか、とても満足のいく受診だった。
待つのはすごく待たされたけれど、予想外なほど時間をかけてくれたおかげで、出直す必要もなく今日一日で済んだし。

数千円はかかるだろうけど、受診してよかったな...と思いながら会計コーナーに行ったら、精算機に告げられた金額があまりにも安くて「え?」と思わず耳を疑った。
検査をしていないとはいえ、小銭で払えるくらいの金額。
用意していたクレジットカードを引っ込めて、チャリンチャリンと硬貨を入れた。

帰って夫に話すと、「それだけ長く診てもらってその値段?」と夫もびっくり。
「弁護士だったら万は行くよね」と言っていたけど、本当に、あれだけ専門知識を以て診てくれてこの値段とは。

改めて、日本の医療保険制度の有り難さを思った一日だった。

リス音頭

「リスの小径」30周年記念のイベントをしているというので、週末は井の頭公園へ。

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フェイスペインティングで 息子はリスの顔になり(字余り)。
ノリノリで 夫は井の頭音頭(五七五ぴったり)。

園内の桜はちょうど見頃で、ザ・行楽な一日だった。

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食洗機 その後

昨年秋に使い始めた食洗機。
その後も毎日毎日、便利さを噛みしめながら使っている。

最近嬉しかったこと。
手洗いしているうちに、湯垢なのか洗剤カスなのか、かずっと残って消えなくなってしまった黒い器があったのだけど、それが消えてきている!

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ずっと欲しくて少しずつ集めてきた、白山陶器のめん丼。
一番最初に2つ買った黒の浅めん丼は、独り暮らしのときからパスタやカレーに活躍していたのだけど、
仕事に行く前に水に浸けて夜まで放置することが多かったせいか、洗った後すぐに拭かなかったせいか、年を経るごとに鱗のようなまだらの跡がついてしまっていた。
黒だから目立つし、重曹をつけて磨いてみたりもしたけど、効果なし。
黒くてピカピカした質感が好きで買ったのにそんなことになってしまって悲しく、いつか食洗機を買ったらどうにかなるかも...と一抹の期待を抱いていたのだった。

それでも、食洗機で洗った最初の何回かは目立った変化も見られず、あぁやっぱりダメなのかなぁと思っていた。
でもふと思いついて、鱗状の跡が目立つ外側をよく洗えるよう、食洗機内の場所を工夫して置くようにしたら、1,2回でどんどん薄くなってきた!
たぶんあと1回でほとんど消えてなくなりそう。

浅めん丼、これ以上シミにならないでほしくてしばらく遠ざかっていたけど、また登場回数が増えそう。

他にも、ステンレス製のコーヒーサーバーの底に染みついてきたコーヒーの色が、ちょっとずつ取れてステンレスの地肌が見えてきたり、
古いタッパーの蓋の窪みについていた色素がいつのまにか取れていたり、
麦茶を入れているポット(手洗いだと底の方が洗いにくい)が隅っこまで毎回きれいだったりと、食洗機さまさまなことがいっぱい。

ただ労力が節約できるだけじゃなく、人力でできない汚れを落としてくれる食洗機、何度も言うけど本当に買って良かった。

櫻センチメンタル

敷地内の大きな木に蕾がたくさんついていて、あ、これは桜の木だったのだと気づいた。

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まもなく、引っ越してきて初めての桜の季節を迎える。

春から息子はプレ幼稚園なるものに通うことになった。
週1日、たったの一時間半だけど、
これまでほぼ私と二人っきりで過ごしてきた毎日に、「社会」というものが少しずつ入ってくるんだな、さらに一年先には幼稚園に入園して、本格的に「社会」に入っていくんだな、と思ったら、
息子と二人っきりのこの毎日が、とっても貴重な名残惜しい日々に思えてきた。

赤ちゃんだった頃の息子。
寝る前や不安なとき、自分の指じゃなく、なぜか私の指を奪って、ちゅうちゅう吸っていたこと。その感触。
哺乳瓶を自分で持ってミルクをぐいぐい飲んでいたこと。
ハンドブレンダーであっというまにドロドロになった離乳食のお粥を、小さなスプーンで食べさせたこと。
まだ寝返りすら打てなかったときに、抱き上げるとふにゃっとして体が湿り気を帯びていて、赤ちゃんのいい匂いがしたこと。

目の前にいる息子だってまだまだ小さくて、言葉もカタコトで、もう毎日十分すぎるぐらい可愛いのだけど、
時々、「あぁ、赤ちゃんの頃の息子にもう一回会いたいなぁ」と思う。
本当はどんな人生もやり直しはきかなくて、行ったり来たりはできない一方通行なのに、大人だけで生活しているとついそのことを忘れそうになる。
姿がどんどん変わっていく子どもと生活していると、時々そのことを思い出す。

だから、小学生ぐらいになった息子との生活を想像して、今の息子に会える喜びを、未来の自分になった気持ちで噛み締めたりしている。