時が行けば幼い君も

「汽車を待つ君の横でぼくは 時計を気にしてる」
という歌詞から始まる曲が耳から離れなくなったのは、一週間経ってもまだ残っている、日陰のなごり雪を見たからだった。

コロナ禍で毎年期限延長されてきた飛行機のマイルが、この3月末でついにもうこれ以上は延長されなさそうだと分かって、貯まったマイルで行けるところをにわかに探し始めた。
とはいえ、家族みんなで行けるほどのマイルはなく、どうがんばっても自分一人分。
完全にレジャーとしての一人旅も考えたのだけれど、今回はなんとなく、気分的にどうしても地元方面で親しい人々に会いたいなと思って、行き先は関西に絞ることにした。
本当は一人で身軽に動きたかったのだけれど、夫と話し合った末、子ども一人は連れて行ってほしいということで、小学生の長男だけを連れて行くことにした。
長男にしろ次男にしろ同じ運賃がかかるのだけれど、次男は何度乗せても飛行機が苦手のようなので、ここはまぁ長男かなということで。

いろいろ消去法で日程が決まったので、まずは往復の便を押さえる。
それからまず、一番都合がつきにくそうな中高時代の親友に、会えそうな日程を打診した。
それと並行して、長年通っていた&関西に行くときには必ず行く美容院を予約。
ちょうど髪が限界になる頃の関西行きだったから、タイミングが合ってラッキーだった。
親友から返信が来たので、次に大学時代の親友に打診。
こちらもすんなり日が決まって、残るはいつでも都合がつきそうな母に連絡。
こちらもすんなり会えることが決まった。
都心から離れた実家まで行くと時間のロスが大きいので、日数の限られた今回は実家泊ではなくどこか宿を取ることにして、めちゃくちゃ狭そうだけどアクセスは良い新しめの宿に、ひとまず予約をいれた。

こうしてあれよあれよという間に、バラバラのパズルのピースがぴたりとひとつにハマったのだった。
こんな風に予定がぴたりと決まる旅は、うまくいく気がする。

中高の親友には長男と同い年の男の子がいて、二人が顔を合わせるのはたぶん五年ぶりくらい。
大学時代の親友にも、長男が会うのは同じく五年以上ぶりだ。

コロナ禍はやっぱり、人と人との距離を、移動の自由さフットワークの軽さを、ずいぶん変えたんだな...と思う。
今回久しぶりになってしまった友人たちに会うのが、とても貴重な、重みのあることに思える。
母にしても、「生きているうちにあと何回会えるかな」とふと思ってしまうような、そんな稀少さを、「人と会う」ことに感じたりしてしまうのだった。

自分も、長男も、友人たちも、母も。
「今」の年齢、「今」の状態で会うのはもう二度とはなくて、次に会うときには必ずお互いどこかが変わっている。
会える時間を大切に、慈しみたい。