mina × iittala

またふりかえりになるけれど、昨年のクリスマス、思いがけないものが届いた。
三十年以上のつきあいになる、関西の親友から。

「送りたいものがあるから」と在宅日時を事前に聞かれてはいたものの、何か食べ物だろうと思っていたら、開けてびっくり。
しかもこれ、なんと4枚あるのだ。

私の大好きなミナペルホネンとiittalaのコラボ食器。
めちゃくちゃ嬉しいけど、高価なものなので、いったい何故?!
...と問い合わせたら、なんと、まさかの「出産祝い」だった。
一瞬「え、私三人目産むの?」と思ったけど(笑)、実はなんと三年越しの出産祝い。
いろいろと経緯を聞いて「なるほど」と分かったものの、なんともその友人らしいというか、いくつになっても意表をついてくるわ~と、しばらく笑いが止まらなかった。

中高一貫の六年間、彼女とは毎日一緒に登下校していた。
もちろんずっと二人だったわけではなくて、三人だったり、下校時は何人かが加わったりもしていたけれど、とにかくずっと一緒だったのは彼女で、そんなに毎日一緒にいたのに、全然飽きることがなかった。
何がどうとは言えないけれど、視点にいつも意表をつかれる感じがあって、彼女はみんなにかなり人気があった。
「○○ちゃんいいわ~」とか「○○ちゃん面白いし可愛い」と、みんなが仲良くなりたがる子だったその子と、六年間ずっと一番仲が良かったというのは、私にとってのひそかな自慢だ。
彼女と友達を続けられたことは、私の人生のけっこう上位に来る「グッジョブ!」だと言っていい。

そんな彼女だからか、長い付き合いだからか、プレゼントもいつも私の好みを絶妙に分かってくれている。
長男の出産祝いにもらったのは私の好きなブランドのバスローブで、なぜバスローブかと言えば「一人で子どもをお風呂に入れるとき絶対要ると思って」という理由。
そのときも「なるほど~」と感心した。
結婚祝いにもらったのは漆器の器で、それは私たちがかつて二人で旅行した土地の漆器だった。
その旅行は個人的にとても思い出深い旅だったのだけれど、二人で旅したところは他にもいくつかあったから、もしかしたら彼女にとってもそれは思い出深い旅だったのかもしれないなと、その器をもらって初めて気づいたのだった。

今回もらったお皿は、iittalaのティーマシリーズに絵付けをした特別バージョン。
既に持っている無地のティーマシリーズとも同じ、一番使い勝手がいいサイズ(21cm)だ。
同じサイズだから重ねられるし、色の相性もばっちり。
バックスタンプも可愛い。

サプライズは基本苦手な私だけれど(これについてはまた改めて書いてみたい)、このサプライズはとても嬉しいクリスマスプレゼントとなった。

なまはげ再び

何ヵ月かぶりの金継ぎへ。
秋に行って以来予定がなかなか合わなかったけれど、ようやくタイミングが合ったので、前回の作業途中のモノを持って出かけた。

数ヶ月空いたので、頭はすっかりリセットされている。
今回は初参加の人もいたので、その人たち向けの説明を一緒に聞くことで、あぁそうだ前はこんな作業をしたんだった、今日はその続きのここからね、と確認して、ようやくその日の作業に入ったのだった。

この日は、前回くっつけた箇所の、はみ出しをやする作業から。
接着部分にはみ出したバリ的な部分をやすって、平らにするのだ。
その後に筆で漆を乗せていく。

作業をしながら、他の人の話に耳を傾けたり、時折話に参加したりする。
各自、今やっている工程も違うし、継ぎ方のパターンも違うので、他の人の作業を見るのもとても勉強になる。
へぇ~、こういうときはこうやってくっつけるんだ~、とか、あ、この作業は私も前やったからなんとなく覚えてる、とか。
各自持ってきている器が違うので、それを見せてもらうのも楽しい。
やっぱりみんな器が好きな人たちだし、直そうと持ってくる器も愛着があるものが多いので、それにまつわる話を自然と聞くことになって、それもまた面白いのだ。
「母が陶芸をやっていて」とか、「結婚祝いに同僚からもらって」とか、「どこそこに行ったときに買ったお土産で」とか。
やっぱり人それぞれ好きなテイストがあって、なるほど、この器はこういうところが愛でポイントなんだな、とか、なるほどこういうお料理に使うんだ、と知ることができる。
そういうのを聞いていると、作業以外の時間もまた味わい深いのだった。

この日の私の作業は、黒漆を塗るところまで。
このまま一晩以上は乾かさなければならないので、続きはまた次回となる。

次回、黒漆の上に金粉を乗せ(て乾かし)たら完成。
でもこの黒漆のままで完成とすることもできる。
金粉や銀粉は飾りだから、そこはお好みなのだ。

次回で完成しそうだけど、その後、継げそうな割れた器がないのが目下の課題。
「割れた器はねが~」とまたしても心のなまはげが現れるのであった。

DAY3~5とその後

熱も下がったし、家にいる夫に(隔離のため)家事育児を丸投げできるしで、好きなことだけして、ごはんになったら呼ばれるだけの生活があと三日も続くなんて、正直「なにこれ極楽?」という気持ちだったのに。
三日目の朝、夫が「夜中から喉が痛い...」と言い出した。
ちーん...。

とりあえず私はウィルスを持っているだけで身体は動けるので、仕方なくマスクを厳重にして子どもたちのお世話。
そうこうするうち、案の定夫が発熱。
受診したらもちろんコロナで、私の極楽生活はあえなく終わりを告げた。
悲報オブ2024。

そこからの数日は、家事育児をいつも以上に一手に引き受ける地獄となった。
高級薬のおかげか、コロナのしんどさはないものの、起きてから寝るまで子どもたちのお世話を完全ワンオペでやり、かつ子どもへの感染に神経を尖らせる。
間取り上完全隔離は無理なので、とりあえず二段ベッドの下部分を大きな布で二重に覆い(ちょうど捨てる予定でまとめていた布がたくさんあった。捨てるまでに間に合ってよかった!)、極寒の中換気を徹底。

そんな中、夫は発症二日目から在宅勤務を開始した。
そりゃあ熱も下がったのにそんなに有休を使えないのは分かるし、仕方ないとはいえ、家にいるのに家事育児は全くできないどころか、こちらが夫の三食お世話、かつ感染に気を遣わなければならないなんて理不尽にもほどがある。
でも逆だったら夫が在宅勤務しながら私と子どもたちのお世話をしないといけなかったわけで、どっちにしろ、一方に負担が偏るシステム。
こういうとき一番必要なのは、感染していない子どもだけを預かってお世話してくれる人&場所だけど、コロナ禍になってこんなに経つのに、そういうシステムってほんとないんだよなぁ...。

幸い子どもたちは元気だったので、自分の療養期間が終わってからは、できるだけ子どもたちを外に連れ出す時間を増やすことにした。
家に長時間いた方が、夫からの感染リスクが高まるので。

長男の習い事の間も、いつもは次男といったん家に帰るのだけれど、夫が在宅しているので外で時間をつぶすことにした。
次男は長男よりだいぶ落ち着きがない子なので、全然ゆっくりできないからあんまり積極的にはお店に連れて行かなかったのだけれど、最近は何かを与えておけばようやく少し間がもつようになったので、何度めかのチャレンジ。

雑誌が置いてあるお店はありがたい。
次男は絵本よりも、大人の雑誌やカタログの方が興味が長持ちする。
毎週届けられる生協のカタログなんか大好物で、いつも発注が終わって「あげる」と言うと「ヤッターー!」と大喜びしてページを繰っている。
絵本でも、『ミッケ』とか『ウォーリーを探せ』は好きなので、とにかくページあたりの情報量が多いことがポイントみたいだ。

そんなこんなで私と夫の初感染はいつの間にか終了した。
あとは潜伏期間も含め、子どもたちに感染していないことを祈るばかりだ。

療養TIME

受診した翌日も熱はなく、咳が時々ひどくなるのを除いては、普通の風邪の治りかけという感じ。
在宅していた夫に家事育児を一任し、入っていた仕事をすべてキャンセルしたのもあって、いきなり自由な時間が降って湧いた。

そんなわけで、見まくった録画(←スマホで見れる)の感想など。

NHK Covers 80年代ラブソングスペシャル(宮本浩次Coccoの回)&去年のクリスマスフェスin大阪】

宮本浩次Coccoはどちらも元々好きなアーティストだけれど、同席しているのは見たことがなかった。
Coccoを見たのは久しぶり。

数年前からメディアで顔出しをしなくなったらしく、その経緯を話したインタビュー(←Coversとは別)によると、「(顔出し等)歌うこと以外の要素が自分には大きなストレスになっていて、克服しようとずっとがんばってきたのだけれど、デビュー25周年となり、25年がんばっても得意にならないことは、もうしなくてもいいのではないか、と思った。人には得意なことと不得意なことがあり、自分はライブやレコーディングなど、得意なことに注力したらいいのではないか、と思って顔出しをやめた」(要約)らしい。
もちろんライブでは顔出しするし、TV等も一切出ないわけではないけれど、出るときは少しでもストレスを減らすため、サングラスをかけたりベールをかぶったりして、何かフィルターをかける、ということのようだった。

素晴らしい、と思った。
メディアを一切拒否するのではなく、要素を丁寧に切り分け、自分にとって何が大切で何は不必要か、慎重にラインを引いた結果なのだということがよく分かった。
それ以上譲ると自分を削ることになる、というラインは、日頃からよく自分を観察しているからこそ、適切なタイミングで修正できるものだ。
とても誠実で、見習いたい姿勢だなと感じた。

そして、宮本浩次
この人はもう、何度かこのブログでも書いているような気がするけれど、とにかく好き。大好き。
本人も言っているように、とにかく歌が好きなんだなというのがひしひし伝わってくる。
本当に気持ち良さそうに歌うし、歌について語るときも毎回気持ちがこもっている。
そういったすべてをひっくるめて「宮本浩次」という他にない存在で、大好きなのだ。

ただ、今回のCoversでの歌は正直もうひとつだった。
いや、上手いは上手いんだけど。もうちょっとのびのび歌ってほしかったというか。
でも、自分のパフォーマンスを後から見て「力み過ぎちゃったな...」と反省してる様子がまた、好感度爆上がりだった。

Coccoの方は、尾崎豊のI love you、とても良かった。
いろんな人がカバーしているけど、これはちゃんとCoccoのバージョン、という感じ。
原曲はどちらかというと翳りがあるけれど、Coccoの歌声だと、十代の若い二人の、可愛らしく微笑ましい恋の歌になっていた。

そして、クリスマスフェスin大阪。
これはもう、ウルフルズが圧倒的に良かった。
昔から大好きなのだけれど、久しぶりに聴いた「ええねん」は、初めて聴いたときの「なんだこの歌はーー(めちゃくちゃいい)!」という衝撃そのまま、今聴いても本当によかったねんだった。
当時の売り出し文句に「ウルフルズの全肯定ソング」というフレーズがあったように記憶しているけれど、その通りで、ニコニコ楽しそうに歌っている姿を見ると「すべてを肯定してもらってる!!」という強くあたたかな気持ちになる。

しかし、この「ええねん」が英語の「エイメン(アーメン)」からの思い付きだったとは、初めて知った(笑)

Coversクリスマスフェスは大阪でのライブだったから、大阪ゆかりの歌としてウルフルズが「河内のオッサンの唄」をカバーしていたのだけれど、これもめちゃくちゃ良かった。
トータス松本によると、子どもの頃、友達の家のお母さんがつけていたラジオからこの歌が流れてきたのだそう。
それがめちゃくちゃ面白くて、笑いをこらえるのに苦労したのだとか。
帰ってからそのレコードが欲しくて、でもタイトルが分からず、いつも行くレコード屋さんで「こんな歌詞で」と歌って説明したら、レコード屋のおじさんが「これちゃうか」と言って見つけてくれたのが「河内のオッサンの唄」だったそうだ。
番組に、その原曲を歌っている歌手からウルフルズにメッセージが届いたのも胸熱だった。
ウルフルズの歌う河内のオッサンの唄、聴いたことある。なかなか良かった。」みたいな、ぶっきらぼうなメール。
ラジオで出会って惚れ込んだ歌のおじさんから、数十年後、大人気歌手となった田舎の元少年にメッセージが届いた、という感動必至のシチュエーションなのに、ぶっきらぼうというのがまたいいのだった。

そんなわけで、ふだんなかなかゆっくり見られなかった録画を堪能した療養中だった。

(写真は、コロナウィルスに見えるけど違う、次男作「タコ」)

一粒7000円(DAY0~1)

正月に私の溶連菌感染、その数日後に長男の皮膚炎、その後次男が発熱、で1月は既に三回病院へ。
次男の発熱は一度出たら長く、38度が四、五日続く。
それがようやく収まったと思ったら、今度は私の喉が怪しくなってきた。

発熱していた次男はインフルもコロナも陰性だったから、お正月の自分の溶連菌がしぶとく残っていてぶり返したのかと思ったけれど、今回は喉というより気道全体に違和感があった。
息をすると、気道が常に意識される感じ。
ヒリヒリとまではいかないものの、このままだと絶対まずいなという感じで、アズノールうがい+痛み止めのカロナールを投入して早めに寝たところ、翌朝にはだいぶ改善されていた。
去年も同じように気道まで炎症が回りそうなときがあって、そのときも同様にしたら収まったのだ。

ところが、昼過ぎあたりからだんだん体が重くなってきた。
夕方には長男の習い事の送迎があって、本当なら送迎が無理で休ませたかったのだけれど、今月いっぱいでやめる習い事なので行かせてあげたくて、寒空の下自転車で二往復。
お迎えのときには悪寒がしてきていて(でもなぜか熱はない)、一刻も早く家に着きたい思いだった。
前日からタイミング悪く出張していた夫が、予定より早く帰り着いたので、あとは夫に託してベッドへ。
ここへ来て微熱が出始めた。
翌日は運悪く、長男の授業参観。
「行けないかもしれない」と言うと長男があからさまに落ち込んだので、熱が下がってたら行くね、と言ってその日も早めに寝た。

翌朝には熱は下がり、喉や気道の違和感もましになっていたものの、咳が出始めたので、一応受診することに。
人食いバクテリア(劇症型溶連菌)のニュースを見て、怖くなったのだ。
近所の内科には正月(私)、数日前(子ども)と受診しているので、これぐらいの症状でまたかと思われそうで一瞬躊躇したのだけれど、よくなってきたとはいえ丸一日の間に気道→倦怠感→悪寒→発熱→鼻水&咳と進行が早く、劇症型溶連菌の場合数十時間で死ぬことがあると知って、ニュースを見て怖くなったと言えばまぁ理解してもらえるだろうと思ったのだ。

在宅勤務にしていた夫に子どもを託し、朝イチかかりつけの内科へ。
前日に熱が出ていたので一応発熱外来を予約し、裏口で待機。
問診票の記入で当てはまるものに○をつけたら、「熱、喉痛、鼻水、鼻づまり、咳、頭痛、悪寒、全身倦怠感」と見事に全てに○がついた。

呼ばれて診察室へ入ると、いつもの先生が立ったまま、心なしか距離を取りつつ「全部○ですね~」。
そうなんですー、と言いつつ椅子に座ると、先生はさりげなくサッと離れながら「まずはインフルとコロナの検査しますね~」と言ってキットを取りに向かい、立ったまま症状を聞いていく。
「10分ぐらいあちらでお待ちくださいね~」とまた裏口方面に案内された。

待っている間にも、次々と裏口から人がやってくる。
幼児~中学生ぐらいの親子が多い。
通常入り口からの患者もひっきりなしで、内科は大繁盛だった。

待つこと20分ほど、再び呼ばれて行くと、先生がまた距離を取りながら「コロナ陽性ですね~」。
えぇっ。
インフルは予想してたけど(症状から)、コロナはあんまり予想していなかった。
だって、しんどさから言うと先日の溶連菌の方が数倍きつかったし、過去のインフルぐらいのしんどさだったから。
そうか、これが。

そう思っている間にも先生の説明は続き、要はコロナ用の薬を飲むか飲まないか、ウィルス増殖を抑えるいい薬なのだが薬価が高い、という話だった。
飲まないと自分の免疫頼みになるが、翌日になって悪化して「やっぱりあのお薬ください」と言って来る人もいる、とのこと。
免疫力<ウィルス増殖力になると今からまた悪化することもあるのか...それで家族に伝染っても厄介だしな...と思い、高い薬を処方してもらうことにした。
先生曰く、もともと50000円(!)の薬が保険適用され、さらにそこから助成金か何かで引かれるので、自己負担は9000円とのこと。
9000円か~...まぁ仕方ない。

そしてさらに待つこと20分ほど、隣の薬局から内科裏口に薬が運ばれてきて、薬の説明を受け、クレジットカード会計のため薬局の外まで移動して会計を済ませ、帰宅となった。

その日から飲み始めた高級薬。

元々の値段から計算するに、一粒7000円強。
自己負担で計算しても、約1300円。
「うっかり落として家具の奥に転がっていってしまったら...」とか「飲んだ後に急に吐き気に襲われたら...」とか、何かとあらぬことに気を遣う。

高級薬のおかげか、特に悪化もすることなく、ひとまずその日は無事に終わったのだった。

ふりかえりクリスマス

なんだか間の抜けたタイミングの投稿になってしまった。

もう三週間以上前になる昨年のクリスマス。
秋に買って温存していたとっておきのお皿を、イブの朝に解禁したのだった。

ARABIA社の「フロストベリー」オーバルプレート。
scopeさんのサイトで毎年迷っては値段におののいて見送っていたのだけれど、来年からはさらに値上がりしそうだし、限定の150周年記念バックスタンプもついてるし...ということで思い切って。
これで、同じ形のオーバルプレートが家族4人分揃った。
イブの前日、珍しく夫がちょっといいめのパンを大人買いしてきたので、一部は冷凍し、残りはお皿解禁を記念して、朝からパン祭りと相成った。

翌日のクリスマスは、例のプリンの器を使って、ケーキ代わりのデザートを作ることに。
大谷製陶所さんの平鍋レシピを使って、アップルクランブルに初挑戦(ちなみに、大谷製陶所の平鍋と散々迷った挙句、この器も使えるプリンを買ったのだった)。

直火で煮てからの、オーブンにそのまま入れて、すごく簡単な割にめちゃくちゃ美味しいデザートが出来上がった。
熱々のこれを、冷たいバニラアイスと一緒に食べるのだ。
甘くて熱々で、子どもたちも大喜び。

そして夜は、夫と子どもたちが大好きな鶏の唐揚げに、冷凍しておいた春巻きを揚げ、大量の里芋があったので里芋グラタン。

グラタンは残念ながらいまいちだった。
某伝説の家政婦のレシピを使ってみたのだけれど、めんつゆを使うというのがいまいちだったのか、作り方がどこかまずかったのか、とにかくあんまりおいしくなかった。
めんつゆを使うレシピって、総じて苦手。
めんつゆ自体の味に左右されるから、レシピに「めんつゆ」って書いてあってもその味になるかどうか分からないし、かといって特定メーカーのめんつゆをわざわざ買うほど、使用頻度が高くないし。

まぁそれでも、夫や子どもたちはそれなりに食べてくれたし、デザートは美味しかったし、なかなか良いクリスマスディナーになった。

AI、もうちょっとがんばろう

松の内が過ぎ、平常通りの日常が戻ってきた。
夫も本格的に仕事が始まり、長男は早くも一年生の最終学期。
去年の今頃はまだ幼稚園児だったことが信じられないくらい、顔つきも体つきもすっかり少年になった。

今年の年末年始は結局8連休だった。
6連休だったところを、夫が前後に一日ずつ休みを取ったのだ。
毎年何かバタバタしていたのだけれど、今年は休みが長かったことに加え、正月準備を頑張らない・やりたいことを計画的に家族で決める、というのをやってみたせいか、終わっても心にゆとりのある冬休みになった。

毎年、夫と私それぞれにTo doリストを作っていたのだけれど、それだとお互いが他にどんな作業予定を抱えているのか分からないために、一緒に作業するタイミングがずれたりして、いつも不全感を抱いていた。
加えて今年は、長男も正月休みにあれがやりたいこれがやりたいと言うので、まずは全員が正月休みにやりたいことを、同じ一枚の紙に書いていくことにした。
紙を壁に設置して、思い付いたときに書くシステム。

ところが、息子は「いつやるか」を考えずにやりたいことをどんどん書いていくので、どう考えても年末年始にやり切れない量になる。
これは時間軸に落として説明しないと優先順位をつけられないだろうな、というわけで、クリスマス明けくらいに書くのをいったん締め切り、ざっくり日付と時間を書いた紙に、予定を落とし込んでいくことにした。
そうやって「見える化」してあげると、息子も「あ~、じゃあこれは無理だね」とか「これは年末年始じゃなくてもいいや」とか優先順位をつけられるように。
「みんなでやること」「一人ずつでもできること」「大人だけでやること」などをパズルのように組み合わせた結果、やりたいことの8割ぐらいができた年末年始となった。

年末には、長男の希望で水族館へ。

ちょうど他にも都心へ外出する用事があったので、初めてしながわ水族館へ行ってみた。
前から聞いていた通りのアクセスの悪さで、そんなに混んでいないんじゃないかと思いきや、めちゃくちゃ混んでいたのでちょっとびっくり。
イルカショーはまさかの立ち見だった。

そういえば一年前にも子どもたちを水族館へ連れて行ったけれど、次男はそのときよりも明らかに生き物への反応が良くなっていて、二歳から三歳の一年って大きいんだなぁと思ったり。

またある日は、お菓子の家作り。

クリスマス前に義母からもらっていたものがあって、開けてみたらお菓子の家セットだったのだ。
チョコレートを割って溶かし、型に流し込んで固めたり、ビスケットやウェハースに塗ってくっつけたり。
大人が長時間横に付いていないと出来上がらないこんなお菓子、親は絶対買わないわ...(笑)と思う私を尻目に、大喜びの子どもたちだった。

元旦は、病み上がりに筑前煮を作ってブリを焼いたぐらいで、もう本当に簡素なお正月。

年末にあるところでつきたての餅を大量にもらったので、炭水化物はひたすら餅の日々だった。

成人の日の三連休は、恒例の三家族集まっての持ち寄り新年会。

こちらは本当に楽しくて、もっと長時間でもいいなという会だった。
子どもは子どもで遊べて、大人は大人でダラダラ飲み食いしておしゃべりできる、こういう時間が人生にはやっぱり必要。

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ところで、日記のタイトルを「AIがつける」というオプションが追加されていた。
やってみたらこんな感じ。

「家族と過ごす楽しい冬休みの日々」
「冬休みの思い出――成長する一年生との幸せな時間」

ソーシャルメディア向けタイトルというのもあって、それも試してみたらこうなった。

「一年生の最終学期、長男の成長に驚き!冬休みの思い出 #一年生 #成長」

一気に安っぽくなった(笑)