真夜中の産科病棟

風呂場での恐ろしい転倒事故の後、しばらくして幸い胎動は確認できた。
それでひとまずホッとして、その後はとにかく折れた前歯のショックで呆然。

しかし寝ようとした段になってふと、「今は胎動があっても、お腹の中で何か異変が起こっていないとは限らないんじゃないか」ということにようやく思い至った。
調べてみると、転倒の後に胎盤剥離ということもゼロではないらしい。
胎動が弱くなったり出血があったりすれば受診した方がよいと書いてあったけれど、眠ってしまったらどちらも気づけない。

考えていたらどんどん不安になってきて、かかりつけの産科のある病院に電話してみることにした。
ただ、夜中なので救急外来にしかつながらない。
「心配なら受診してもらっても...」ということしか分からず、とにかく行ってみることにした。

5月にもかかわらず、寒い雨の夜だった。
息子が寝ているので夫は家で待機。
外出自粛もあるのだろう、人っ子ひとりいない夜の道を、一人タクシーで病院へ向かった。

人気の少ない真夜中の救急外来で待っていると、しばらくして看護師さんがやってきて、血圧や体温や血中酸素濃度を測り、問診を取ってくれた。
いったん引っ込んで戻ってきた看護師さんが、車椅子を押してやってきたのでちょっとびっくりしたけれど、あぁ、確かにもし何か起こっていたら歩かない方がいいもんな、それぐらいの事態だよなと、受診したことをようやく肯定できたのだった。

連れて行かれた先は、息子を産んだ、懐かしの産科病棟。
普通だったら、出産直前まで踏み入れることのない場所だ。
産科専門の機械は救急外来にはないから、病棟で診てくれることになったのだろう。

検診で一度当たったことのある女性医師が再び問診を取り、助産師さんが介添えをして内診台に誘導してくれる。
産科の病棟はもちろん24時間体制だから、医師も助産師さんも複数いて、それだけでもう安心だった。
合間合間に「大変でしたねぇ。びっくりしたでしょう」と女性たちが労ってくれて、ここへ来てやっと、緊張状態だった身体が少しほぐれたのが分かった。

内診の結果は異常なし。
続いて腹部エコーも丁寧に診てくれ、胎盤にも赤ちゃんにも異常の兆候は見られない、とのこと。
「すごく元気。元気に動いてますよ~」と画像まで撮って渡してくれた。

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あとは念のため、40分ぐらいかけてお腹の状態をモニターするということで、腹部にペタペタと線を貼ってつながれて、しばらく一人でボーッと過ごすことになった。
息子の出産のときにもつけた、陣痛を見るためのモニターと同じやつだ、たぶん。

真夜中の産科病棟は、昼間とは違ってざわついてはいないけれど、時々新生児の泣き声が聞こえる。
聞き分けられる声は二人ぐらいで、ということは、今の時期は赤ちゃんが少ないのかもな、と思った。
息子を産んだ時期はなぜか出産ラッシュだったらしく、たくさんの赤ちゃんが泣いていた。
真夜中でも昼間でもお構いなく赤ちゃんは泣き、お母さんたちは昼夜関係なく授乳をし、産科病棟には新生児と産婦たちの気配が24時間漂っていた。

新生児室の朝の風景を思い出す。
あれは、私がこれまで生きてきて見た中で一番幸せな光景だった。
朝は一斉に医師によるチェックがあるので、新生児たちは決まった時間、そこに集められる。
私も息子を連れて行くのだけれど、それはいつも立ち去りがたい光景だった。
あちこちから強い、弱い泣き声が聞こえ、甘い香りが部屋中に立ち込めている。
そして、ずらりと並んだ透明のベッドの中で、生まれたての何かが湯気を立てて動いているのだ。

あれは、まさしく「いのち」だった。
赤ちゃんというより、「いのちそのもの」が動いている光景だった。
毎朝これに立ち会う助産師さんたちは、絶対に寿命が延びるだろうと思ったほどだ。
だって、あんなにも濃厚な命の気配を浴びることなんて、普通に生きてたらまずないことだから。


...そんなことを思い出していたら、看護師さんが入ってきて、「はい、これで終わりですよ~」とお腹に貼られた線を外してくれた。
モニターの結果も異常はないとのこと。
念のため明日も一日気をつけて様子を見て、出血や胎動の弱まりがなければ、それでOKということになった。

来たときと同じ救急外来を、来たときとは違う安心感を感じながら外へ出る。
玄関前に何台かいたタクシーはいつの間にかいなくなっていて、大通りまで傘をさして歩いた。
交差点でつかまえたタクシーは、この辺りを全然知らないという若くて腰の低い運転手で、家までの道を私が案内しながら帰った。
降りるときにふと見たら、強力な接着剤で固めたみたいな不思議な髪型をしていた。
なんだか夢の中のようだった。