魂のきれいな人

旅に行けない日々が続いている。
一年に二度くらい、いや一度でも、日常とは違うひらけた風景の中に行くことで、深々した呼吸を取り戻してきた私にとって、ここ最近はなんだかずっと、狭い水槽の中で口をパクパクしてる金魚みたいな気分だ。

ずっと遠くのひらけた風景を見たくなって、しばらく置いていた写真集をまた開き始めた。
去年の秋、わざわざ電車を乗り継いで写真展を見に行った、大竹英洋さんの写真集だ。
写真展の場にたまたま大竹さん本人がいらして、その場でサインまでしてもらったのだ。
2020秋、六本木 - 珈琲とsofaのあるところ

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写真集を買ったのは、展示された写真があまりにも素晴らしかったから。
いったんは買わずに会場を後にしたのだけれど、やっぱりあの写真の数々をゆっくり見返したい...とわざわざ引き返して買った。
そのあとすぐ、図書館で大竹さんの著書を借りてきてワクワクしながら一気に読んだら、やっぱり写真集を買って正解だったと思った。
著書を読んだ後で写真集を見返すと、その一枚一枚の背景にあるエピソードや物語がさらに力強く感じられて、グッと心に迫ってくるのだ。

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一気に見るのが惜しくて数ヶ月寝かせておいた写真集を改めて開くと、一年近く経った今でも、あの大きなパネルで作品を見たときの感動が蘇ってきて、うわ~...!となった。
写真展ではかなりの数の大きな作品が展示されていたから、会場全体が北極圏の自然に包まれたようで、写真を見ながらなんだか涙が出てきたのを覚えている。
それもそのはず、著書を読むと、あの作品群は約20年に及ぶものすごい熱量の賜物なのだ。

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北米大陸の北緯45度から60度に広がる広大な森林地帯「ノースウッズ」で、厳しい自然の中を旅しながら撮られた動物や植物たち。
鼻から入る冷たい空気や、氷の割れる音までが写っていると思う。

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写真集の冒頭付近に、大竹さんの師匠である写真家ジム・ブランデンバーグによる文章があって、そこに「忍耐と、根気強さと、礼儀ただしさ。それがヒデヒロのきわだった特質だった」とある。
写真展の会場で数分お話しただけの私にも、これはとても納得のいく一文だ。
関係者でも何でもない、一介の観客だった私に自ら声をかけてくださった大竹さんは、私の拙い質問にもひとつひとつすごく丁寧に考えて、しっかり目を見て答えてくれた。
その目力とか、全身から発する生命力は、深く印象に残っている。

その後著書を読んで、あぁ、この人は「魂のきれいな人だ」と思った。
そうとしか表現できない人に、これまでにも何度か出会ったことがある。
まっすぐ、とも似ているけれど、接していて「濁りがない」というか。
深いところで自分自身をごまかさずに生きてきた人、という感じ。
彼が写真家になるきっかけになったのが、大学生のときに見たひとつの印象深い夢だった、ということからもそれが分かる。
その夢自体が、もう素晴らしいのだけれど。

写真展を見た数ヶ月後、大竹さんがこの写真集で第40回土門拳賞に選ばれたことをニュースで知った。
おめでとうございますという言葉では全然足りないくらい、嬉しいニュースだった。