回復するのが遅くなる

次男を自転車に乗せ、コンビニ前で停めて降りようとしたら、ちょっとしたはずみで足が引っかかった。
グラッと傾いた自転車は、13kgの次男の重みもあって片足で受け止めきれず、派手に横転してしまった。
次男はシートベルトをしっかり締めてヘルメットもかぶっていたから、びっくりして泣いたものの、身体はまぁ無事。
私は咄嗟についた左手ですべての重みを受け止めたから、手首がとにかく痛い。

まずは自転車を起こして呼吸を整え、泣いている次男をなぐさめつつ自分も動揺を鎮め、次男が泣き止んだところでコンビニに入った。
もともと、ちょっとした休憩でジュースを買おうと言ってコンビニに寄ったのだ。

ジュースを買ってイートインスペースに座り、二人で一息。
その間もしばらく手首は痛む。
まっすぐ垂直についたから変な捻挫ではなさそうで、それだけは幸いだった。

でも、ふと気づいた。
鎮まらないのは手首の痛みよりも、心の動揺なのだ。
直後に大泣きした次男はもうケロッとジュースを飲んでご機嫌にしているけれど、私は表には出さないものの、内心まだずっと「あぁ、怖かった...とにかく怖かった...」という動揺が収まらないのだ。

若い頃は、それほど大きい怪我をしなかったせいもあるかもしれないけれど、怪我の衝撃が心に来る、なんてことはなかったように思う。
でもここ数年、怪我まではいかずとも、ヒヤッとするようなことがあったとき、「あぁ、怖かった...」という気持ちがしばらくの間抜けないのだ。
その「しばらく」が、年々長くなっているというか。
そういうときの自分の様子は、我ながらおばあちゃんみたいだなと思う。
「もう大丈夫ですよ!」と誰かに明るく言ってもらったとしても、心が追い付かないというか、平常心に戻る回復が遅いというか。
「回復が遅い」というのは、何も身体のことだけではないのだ。

自転車で横転した数日後、今度は長男との激しいバトルがあった。
最近長男は反抗期?なのか(そうだと思いたい。いずれ終わる一過性のものだと思いたい)、強情の張り方と、その最中の暴言がひどいのだ。
暴言も、内容というよりは言い方がチンピラのようで、もし知らない相手にそんな言い方をすれば、逆上されてもおかしくないようなひどい口調。
実際それで、上級生とちょっとしたトラブルになったこともある。
そういう経験をしても一向に直らない暴言を、一緒にいる時間が長い分、一番浴びているのが私だ。

自分の子どものこととはいえ、それに曝されることでけっこうダメージを受けているのかもしれないなと、先日のバトルで気づいた。
長男の言動が穏やかに戻っても、こちらのやる気が戻ってこないのだ。
すべてが生返事、心の水位がスッと下がって、「ハイ。ハイ。(無)」みたいな感じになる。

家族が寝静まった後、一人で別室でただひたすらボーッとする。
とにかくじっとして、傷ついた羽を休める...という感じ。
それを一、二日やって、ようやく気持ちの張りが戻ってくる。

子どもたちが思春期になったら、本当に一体どうなるんだろう。
高齢出産のメリットとして、よくメンタルが安定しているとか言われるけれど、どうだろう。
つらいものはつらい、という気がするのだけれど。