出産ふりかえり 産後0日(お産のあと)

無痛分娩でない普通の分娩は今回が初めてだったけれど、本格的に陣痛の波が来たとき、正直「しまった、今回も無痛にすれば良かった...」と後悔していた。

子どもの頃のある経験を思い出す。
遊園地でジェットコースター好きの姉と父に「ここのは怖くないから!」と騙されて列に並んで、もう引き返せない乗り口付近になって「ほんとは怖いんだよ」と言われてパニックになる...というひどい経験があるのだけれど、それをちょっと思い出していた。
やめればよかった!引き返したい!
と思うけれど、もう遅い。

そのことを思い出していたら、ふと、陣痛の波が来ること自体、ジェットコースターの恐怖に似ている...と気づいたのだった。
波が来る気配がして「来る来る来る来る...」と分かりながらも避けられないあの感じ。
ジェットコースターが山を登っていくときの恐怖によく似ている。
めちゃくちゃ怖い(痛い)ことに向かってると分かってるのに、自分ではどうしようもできない、自分以外の力によってただただ一気に連れて行かれる感じ。
スピード出産だったから良かったものの、これが何時間も続いたら、とてもじゃないけど耐えられなかったかも...と思った。

出産してしばらくは、傷の縫合があり、それからそのまま分娩台で体を休める。
不意の出血や血圧変化があるかもしれないので、いろんな機器や点滴の針はつけたまま。

その状態でボーッとしていたら、どこかからものすごい叫び声が聞こえてきた。
今まさに陣痛に襲われていきんでいる、他の妊婦さんの声だった。
ついさっき経験したばかりなので、思わず声に出して「分かる...!分かるよ...!」とつぶやいていた。
そうしたら今度は、さらにすごい叫びに加えて、何かが蹴り倒されて物が飛ぶ音、「おかあさんっ!暴れたらもっと○○(聞き取れず)だから!」というスタッフの声。
その後しばし間があって、「オギャー」という産声が聞こえてきた。
あぁ、あれは最後のひとふんばりの叫びだったんだな...(笑)

そんなことがありながら2時間近くが過ぎて、朝ごはんが運ばれてきた。
そういえば、明け方に産まれた子だったから、お腹が空きすぎでも満腹でもない、ベストな状態での出産だった。

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分娩台に乗ったまま食べる、産後最初のごはん。
ものすごい体力を使った後だったので、牛乳が染みわたるように美味しかった。

出産ふりかえり 産後0日(お産まで)

最後の検診が終わった日の夜のこと。

ぐっすり寝ていた丑三つ時に、お腹の違和感で目が覚めた。
陣痛かどうか分からなかったけれど、とりあえず妊娠出産アプリの「陣痛カウンター」に記録。
次にまた来たら時間間隔を確認しようと思っているうちに寝てしまって、次に起きたのは1時間後だった。

二回目はややはっきりとした、生理痛のような痛み。
でも同時に腹痛もあって、とりあえずトイレへ行ってみたものの、何も出ない。
夫を起こそうか迷ったけれど、まだよく分からないので、本当に陣痛だったときに備えて入院グッズに最後の身の回り品を入れよう...と思っていたら、三回目の痛みが来た。

急に15分間隔だ。経産婦は、15分間隔になったら病院に連絡するよう言われている。
三回目もやっぱり普通の腹痛のような感じもあったので、大かな?と思って再びトイレに行くも、これはトイレでいきんだらまずいやつかも!と思い直して、小だけ済ませ慌てて部屋へ戻った。

その足で夫を起こしたら、また次の痛み。
今度はいきなり3分半間隔になっている!
いや、今回はたまたまかもしれないと思いつつ、夫に入院グッズを玄関に運んでもらっていたら、3分半後にまた痛みがやってきた。

これは、病院に連絡しよう!
いや、タクシーを呼ぶのが先か?
いや、やっぱり病院だ。
ちょっと慌てながら病院に連絡、規則的なのでたぶん陣痛だと思う、着くまでに20分ぐらいかかると伝えると、ではとりあえず来てくださいということになった。
その間にも3分半間隔で痛み。

電話を切って、今度は予め登録しておいたタクシーにかけようとするも、夢の中で電話をかけるみたいに、慌てていてプッシュを何度も間違えてしまった。
そうしているうちに、尿漏れのような感覚。
でも小はさっき行ったばかりなので、これは噂の「尿漏れのような破水」かもしれないと夫に告げる。(実際、後で病院に行くと破水だった!)
タクシーに電話がつながって、諸々の確認を済ませたところで、20分ぐらいかかるがいいですかと告げられ、他にどうしようもないので待つことになった。

その間にぐっすり寝ている息子を起こし、前から説明していたように、これからママが病院に行って赤ちゃんを産むこと、しばらくおうちに帰れないことを改めて説明した。
泣くかと思いきや、夜中に起こされた非日常感や、タクシーが家に来るという高揚感からか、息子はむしろ楽しそうだったのでホッとした。

その間にも3分半間隔の痛みは続き、そろそろタクシーが来る頃に、みんなで家を出て建物の入り口に向かった。
このとき、エレベーターに向かう外廊下に今にも飛びそうなセミが横たわっていて、「こわい...」と立ちすくむ息子の手をギュッと握ってササッと走って通りすぎたのだけれど、後日息子は何度も「ママがおなかいたくなってエレベーターのるとき、セミこわかったよねぇ」と言っていた。
きっとそのことは、長く息子の記憶に残るんだろうな。

かくして、最初に起きた丑三つ時から2時間した頃に病院に到着。
夜間救急入り口ではもう歩くのが辛いくらいになっていた。
救急受付の華奢なお兄さんが意外な力を発揮して、ボストンバッグをかついで片手でゴロゴロを引き、臨月の激重妊婦を乗せた車椅子を片手で操作しながら産科フロアまで行ってくれたのを、妙に覚えている。
ちなみに、コロナのため立ち会い出産も面会もできないため、夫も息子も家で待機、一人で病院に行って医療スタッフとだけ臨む出産なのだった。

産科に到着した後は、とにかくバタバタ。
通常待機する陣痛室はすっ飛ばして分娩室、もういつ産まれてもということで、すぐにお産体制に入った。
陣痛と陣痛の合間の2分ぐらいにせーので病院服に着替え、また次の陣痛間隔に、スタッフに買ってきたもらった水を飲み...という感じ。
荷物のどこに何があるか(たとえば水を飲むストロー)の指示も、陣痛の合間に「黒いボストンバッグの中に...あっまた(陣痛)来ました...うぅ...」という感じ。
とにかく呼吸が苦しくて、口を開け続けているので、口も喉もカラッカラだった。

子宮口が全開になり、陣痛の波に合わせていきむこと10回ほどだったと思う。
いきみ始めて30分もしない頃、「次(の陣痛)で出ますからね~!...はい!もう力抜いていいですよ!」という声と共に、産声が上がり、ヌルッとした赤ちゃんが高々と持ち上げられるのを見た。

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あぁ、会えた...と思ったら、可愛くてホッとして涙が出た。
3500g近い元気な男の子だった。

ゆっくりと動き出す日々

幼稚園の二学期が始まった。
家から5分の園バスのバス停まで、初めての赤子連れで外出。
あんなに猛暑だった8月がいつしか終わって、気温がだいぶ和らいでいる。
気がついたら、家の外に出るのは退院の日以来、約二週間ぶりだった。

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一学期はコロナ対策でバラバラだった各幼稚園の対応も、二学期からは一律9月開始になったのか、バス停付近には他の幼稚園バスを待つお母さんたちもいて賑やかだった。
すぐ近くには路線バスのバス停もあって、コロナ前と同じくらい満員のバスが通り過ぎていく。

あぁ、「社会」だ。久しぶりの「社会」がここにある。
と思った。

外に着ていく服装も、微妙にもう産前とは違う。
妊娠中、特に臨月はお腹が苦しいのと猛暑で同じワンピースばかり着ていたけれど、季節もお腹の大きさも変わったので、以前何を着ていたのかの記憶を辿るところから。
家では授乳しやすいよう、常にパジャマみたいな格好だし、授乳後はいつだって遠山の金さんスタイルだ(令和の今、遠山の金さんはもう通じないかもしれない)。
宅配が来たときだけ、パッとエプロンをつけてパジャマをごまかす。

出産からしばらくの間は、世間と隔離され、そこだけ時が止まったかのように同じことがリピートされる生活になる。
楽譜の「ダ・カーポ」みたいに、終わりまで行ったらまた始めに戻る生活が繰り返される。
赤子の成長とともにその生活が再び流れ出すのが、確か産後2ヶ月~3ヶ月頃だった。
再び生活が流れ出したと感じるのは外出したときで、妊娠前と同じような行動ーー電車に乗ったり、ふらりとカフェに入ったり、美容院に行ったり、ちょっとした雑貨を見たりするときだった。

けれど、今はコロナでそのどれもが元の通りにはいかないかもしれない。
そうすると、どのタイミングで「妊娠前の生活が戻ってきた」と感じることになるんだろう。

前回の出産後もそうだったけれど、産後、ホルモンの影響なのか「もう戻ってこない日々」への郷愁がやたらに強まった時があった。
その日々を想うと、急に涙が出てくるような(たぶんホルモンの影響だ)。
今回は、それに加えてコロナが重なって、「もう戻ってこない日々」がますます強調されてしまうように感じる時がある。
本当は「戻る」ことなんて人生にはあり得なくて、ただ「変わっていく」があるのだと、頭では分かっているのだけれど。

長かった8月が終わる

退院後、姉が手伝いに来てくれた2,3日を経て、家族4人の生活が始まって一週間。
毎日毎日、本当にその日のことだけしか考えられない、その日暮らしの生活でなんとか一週間が過ぎた。

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食事は、冷凍食品、出産前に買っておいたホットクック(先に買っておいて本当によかった!)、出来合いのものを駆使してなんとか凌いでいる。
息子を幼稚園の預り保育にお願いする日はお弁当持参なので、お弁当おかずも作っておかないといけない。
半日預けられる代わりに朝からお弁当作り...どちらが楽かは難しいところだけど、幸い姉が作り置いてくれたお弁当おかずがあるので、今のところお弁当はなんとかなっている。

育休を実質取れない夫(取ると査定に響く、典型的日本企業なのだ←怒)は、有休をここぞとばかりにフル活用している。
休みの日は赤ちゃんのお世話と家事に加え、私の手が回らない、上の息子の外遊びまで行ってくれる日があって、先日は自治体主催のプレイパーク(公園で工作とか水遊びとかいろいろな催しをしてくれる)に連れて行ってくれた。

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二人育児がこんなに大変だとは、想像以上だった。
私と赤ちゃんのペースを合わせるだけならまだなんとかなる(それでも三時間以上のまとまった睡眠は取れない)けれど、そこに一人(息子)が加わると、まぁ大変。
二人のスケジュールを合わせるのは簡単だけど、三人以上になると急に難しくなるのと同じだ。
赤ちゃんが寝ても息子が起きていればこちらは寝られない。逆に息子が寝てくれても、赤ちゃんのお世話でこちらは寝られない。
5分、10分でも静かな時間があれば、すかさず寝る癖がついた。

こうしてブログを更新できるのは、なんと授乳中。
片方のおっぱいにつき10分、両方で20分。
息子のときはほとんど母乳が出なかったので、こんなに長く授乳するのは今回が初めてで、ようやく授乳にも慣れてきた。
何もしないでいるとただただ長い20分を利用して、今の日々を記録しておく。
いつか、懐かしくいとおしく思い出す日のために。

成就

独身時代に旅行した長野の松本で見かけて、その可愛さに思わず買った「松本だるま」。
眉毛とほっぺ(頬ひげ?)が特徴の、とても可愛い顔をしている。

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結婚してしばらくして、初めての子どもが産まれた後、ふと思いついて片目を入れた。
もう片方の目は、もう一人子どもが産まれたら入れるつもりで。

妊娠中だったか、息子がそのだるまに目を留めて「なんでおめめがひとつしかないの?」と訊くので、「赤ちゃんが産まれたらもうひとつを描くんだよ」と教えてあげた。
そうしたらそれを覚えていて、赤ちゃんを連れ帰った日にさっそく息子が「おめめかかないの?」と言ってきたのだった。

とうとう両目が入るときが来た。

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ここへ来るまでに、産まれなかった子が一人いた。
とっても初期だったから、仕方ないと思う気持ちもあるし、実際仕方なかったと思う。

だけど私だけは、その子のことを覚えていてあげたい。
夫はきっと、二人目が無事に産まれたことで、いつしかあまり思い出さなくなるだろう。
それはそれで仕方ない。生きている子に気持ちがいくのは自然なことだから。
だけど私まで忘れてしまったら、その子はいなかったことになってしまう。
本当に短い間だったけど、私の中でチクチク動いていた心臓があった。
魚みたいな形の、小さな命があった。
エコー写真にしか残っていないけれど、その子は確かに生きていた。

無事に産まれた二人目の子は、その子の分も大事に育ててあげたい。
産まれなかった子のことも、時々思い出しながら育ててあげたい。
ママだけは、忘れないからね。

Welcome to the new world!

予定日を一週間近く過ぎた最後の検診の日になっても、まだ出てくる気配のなかった我が子。
その夜陣痛が来て、来たと思ったら既に5分間隔を切っていて、病院に着いたら一時間強のスピード出産だった。
本当にギリギリまでお腹にいる子だった(笑)

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新しい世界へようこそ!

4年ぶりの新生児。
くにゃくにゃで柔らかくて、赤ちゃんというよりは、まだ胎児。
この手やこの足で、中からお腹を蹴ってたんだね。

出産については、また少しずつふりかえっていく予定。

検診ラスト

昨日の夕暮れ。

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東の空はピンクで、西の空は水色だった。

最後の妊婦検診が終わって、このまま陣痛が来なければ、来週には計画入院となった。
陣痛は来ないけど、赤ちゃんは元気で、子宮口も順調に開いてきている様子。

息子と同い年のお友達のママが、タイムリーにメールをくれた。
自分のときは予定日大幅超過だったけれど、無事に産まれたよ、という内容。
悪いことばかり考えがちだった時間が続いていたので、そのメールにとても安心したのだった。

入院中の人や治療中の人にとって、「同じ状態から良くなった」「今はすっかり元気にしている」という情報ほど、励みになるものはないなと思う。
自分も、そういう言葉をかけられる思いやりのある人でありたいなと思った出来事だった。

あと数日の妊婦生活を、ゆったり待つ。