大量調理への憧れ

先日書いたように、ずっと欲しかったアルミの大鍋を買ったのが先月のこと。
今年買って良かったもの 2022(キッチン編) - 珈琲とsofaのあるところ
冬場は特に活躍するだろうと思っていた通り、出汁取りに下茹でにと、週に一度は大量の何かを作っている。

これを買ったら絶対にしたかったのが、牛スジの大量下茹で。
牛スジを少量茹でるのは手間なので、茹でるときは大量に茹でて冷凍しておきたいのだけれど、まとまった量のスジ肉がなかなか手に入らず(よく行くスーパーの店員さんに聞いたら「隠れた人気商品」なのだとか)、先日ようやく1kgぐらい牛スジが手に入ったので、満を持してコトコト茹でることにしたのだった。

水から茹でていったん茹でこぼし、鍋とお肉を軽く洗って、そこからネギしょうがを加えてアクを取りながら数時間。
この作業がとても好きだ。

自分に、昔からなぜか「大量調理への憧れ」があると気づいたのは最近のこと。
大好きなTV番組「サラメシ」で、社食の調理風景がよく出てくるのだけれど、あれを見るたび「いいなぁ...」と毎回言っていることに気づいた。
何かを大量に刻むとか、自分の身体より大きい鍋をかき混ぜるとか、軽量スプーンじゃなくてボウルに入れた調味料を投入するとか、そういう作業になぜか惹かれるのだ。
「料理」より「調理」が好きなのかもしれない。
細かく味見しながらの繊細な「料理」ではなくて、食材という生の素材を「人が食べられる状態に加工していく過程」に興味があるというか。
でも、家庭料理だと少量の食材を多種類ずつ扱うことになってしまって、それはなんだか面倒くさい。
大量調理への憧れをいつか実現できないかなぁと、給食調理の仕事について調べたこともあったのだけれど、あれはあれで別のしんどさがありそうで(朝早いとか、たいていの現場に必ずボス的なおばちゃんがいるとか笑)、仕事としては無理そうだなぁ...と諦めた。
だからこういう、自宅で牛スジを大量に茹でて保存するとか、出汁を大量に取って冷凍しておくとか、そういう作業だと俄然やる気が出るのだ。

今回はちょうど持ち寄りで集まる機会が近かったので、茹でた牛スジは牛スジ大根になった。

この鍋を買うとき、合羽橋の店舗に直接買いに行ったのだけれど、サイズと厚さで迷っていたら、店員さんがいろいろ的確なアドバイスをしてくれた。
まずはなぜアルミの大鍋を探しているかで「あ~、ル・クルーゼはいいけど重いですよね~!笑」というところから始まり、何を作ることを想定しているか、茹でるだけなのか炒め煮もするのか等を聞き取り。
炒め煮もするのであれば、絶対に厚い方がいい(焦げ付かないから)というので、お値段ワンランク上の厚板タイプに決定。
さらに27cmか30cmで迷っていたら、「30cmだとタケノコも茹でられますよ」と言われ、確かに!と心が急に傾いた。
すると夫が横から「どうせならさらに大きいのでもいいんじゃない」と言うので迷っていたら、店員さんが店に置いてある家庭用コンロにひと回り大きい鍋を載せて見せてくれ、「ここまで行くと、たぶん他の鍋やフライパンと干渉するので、30cmがいいんじゃないかと思います」とこれまた的確なアドバイス
かくして、30cmの厚板タイプがうちに来たのだった。

先日は、楽しみにしていた大量のおでん。

このときはまだ牛スジを入手できていなかったので牛スジなしのおでんだけれど、子どもが生まれてから初めて、出汁も具も足りなくなることなく最後まで食べ切れた。
いつも「あともう一日食べたいな...」というところでなくなっていたのだ。

この他にも、冷凍の鶏ガラでスープを3リットル取るとか(小分けにして冷凍しておくと、思い付いたときにラーメンとか雑炊ができる)、水を少量張って蒸し板に広げた野菜を蒸すとか、何かと活躍している。
底面が広いから蒸すときも野菜を重ならずに蒸せるし、アルミだから湯が沸くのも早いのだ。

年末は、これで大量の筑前煮を作る予定。