子連れ大阪旅② 大阪で生まれた女

二日目は、小一時間の距離に住む母を大阪市内まで呼んで、海遊館へ行くことになっていた。
私はリニューアルされてから行ったことのない天王寺動物園に行きたかったのだけれど、長男が水族館を希望したのだ。

姉が脚を痛めていたため、ホテルから海遊館まではタクシーで行くことになった。
そのルート途中に、母が子どもの頃暮らしていた町がある。
その頃からある食堂が今でも営業しているというので、母に聞いてみると「行きたい!」とのこと。
最寄りの弁天町駅で母を拾って、食堂へ向かった。

普通の大衆食堂なのだけれど、創業80年近く経つうちに有名店になったらしく、昼時は行列。
私たちは少し早めに行ったので、運良く待たずに入れたのだった。

母が「思い出の味」と言うオムライスに、年末「千とせ」で食べ損ねた肉吸いをセット。
千とせよりは濃い目の味だったけれど、二歳の次男がダダハマりしていた(笑)

チキンカツも有名らしいので注文。ソースが濃すぎず美味。
おこさまランチは「みなと子ランチ」という名前で、大人メニューを少量ずつという感じなので、おこさまランチだけど普通においしそうだった。
しかも子どもにはサービスでジュース、デザートにシューアイス、さらにおもちゃまでついてきて552円。
値段が中途半端なのは、郵便番号にちなんでいるからだそう(笑)

ひとつひとつの量がとにかく多かったので、すべては食べ切れなかったけれど、八割方なんとか食べて店を後にした。

さらにそこからタクシーで海遊館へ。
母は生まれてから十代までこのあたりに住んでいたらしく、街並みを見ながらしきりと「ここには昔何々があって」「あれは同級生の○○くん家のタバコ屋」「ここは宝くじが当たってお店始めた家」等々、よくそんなに出るなというくらい昔の記憶を次々と引っ張り出していた。
タクシーが走る大きな通りは、昔路面電車が走っていたとか(今は地下鉄が走っている)。
あたりの地名は「磯路」「三先(みさき)」など、明らかに大昔は海だったんだろうなという名前で、母の古い記憶ともあいまって、ブラタモリのようだった。
私も大阪で生まれたけれど、海に近い西側には全く馴染みがないのだ。

そうこうするうち海遊館に到着。
ただ、タクシーをなぜか変なところ(入り口まで微妙に距離がある)で下ろされてしまった。
「こっちかなぁ...」と言いながら歩き始めたら、近くにバイクを停めて休憩(?)していたおじさんが「海遊館に行きますか?」と声をかけてきた。
見ようによっては怪しいので一瞬警戒しつつ「はい」と答えると、「それやったらここまっすぐ行って、こっち曲がったらエレベーターあるんで、それに乗ってもろて~...」と入り口までの道を丁寧に教えてくれた。
えっ、ありがとう...と内心戸惑いながらお礼を言い、何か続きがあるのかと思ったけれど(セールスとか?)なんにもなく、おじさんはバイクにまたがってどこかへ行ってしまった。

そうだった(笑)。
大阪ってこんな感じだった。
人に話しかける敷居がめちゃくちゃ低いというか。
スーパーで買い物をしていてもすぐ話しかけるしかけられるし、道が分からなかったらすぐ人に訊くし、迷ってキョロキョロしている人がいたら誰かしらすぐに声をかける。
関東に暮らし始めて不思議で仕方ないことのひとつに、夫にしろ誰にしろ、道が分からないときに絶対(←と、私には思える)人に訊こうとしないというのがある。
今はGoogleマップもあるからだいたい自力でたどり着けることが多いけれど、だからこそ、「近くのはずなのに見つからない...」みたいなシチュエーションのときは、訊いた方が早いじゃん!と私なんかは思うのだけれど。
そういうときに「人をつかまえて声をかける」ことへの敷居が、大阪は異様に低いのかもなと、久しぶりに思い出した出来事だった。

二十年ぶりぐらいに訪れる海遊館は、当時の印象とあまり変わらず、建物は大きいけど中身は正直まぁまぁ...という感じだった。
しかも、ベビーカーは入り口に置いて回らなければならない。子連れが多い施設なのに!
でも回っているうちその理由が分かって、とにかく階段、段差が多いのだ。
よくよく考えると、海遊館ができたのは三十年ぐらい前。
当時はきっと「バリアフリー」という概念がなかったのだ。
ベビーカーも無理だし、今どきの子連れ施設ならまず100%設置されているオムツ替えシートも、限られたトイレにしかない。
まぁそれでも、子どもたちは満足してくれたのでよかった。

海遊館でたくさん歩いたので、近くのカフェで一服してから帰ることになった。
実家は古くてもう私たちが快適に泊まれる状態ではないし、高齢の母が布団の上げ下ろしや食事の世話をするのも大変なので、最近は帰省するとしてもホテルにしている。
なので、お茶をしたら母は自宅へ、私たちは次のホテルへ。
お茶をしながら、母から死んだ後の話をしておくと言われ、土地家屋の対処やら葬式の有無やらの希望を聞く。

その後「そろそろ行こうか」となり、母を行きと同じ弁天町駅まで送っていくのかと思ったら、姉が「お母さんは大阪港に帰すから~...」と言うので「えっ?!」となる母と私。
よくよく聞くと「大阪港」は海遊館最寄りの駅名だったのだけれど、そういう駅があることを知らなかったから、私の頭は完全にコンクリートの重りをつけて沈められるイメージ一色に(笑)
「ちょうど今終活の話してたし!」と全員笑いが止まらずだった。