子連れ大阪旅③ 新大阪の夜/改札のあっち側

母を無事大阪港へ帰した(笑)後は、新大阪のホテルへ。
西日の淀川はいつ見てもちょっと感傷的だ。

ホテルの窓からは、直交する御堂筋線と新幹線、そして新御堂筋を行き来する車が見えた。

乗り物好きの息子たちだけでなく、大人もけっこう見飽きない。
帰宅ラッシュの時間帯には混み合った電車が次々と人々を運ぶのが見えたり、新幹線の方では時々見慣れない車両が走ってきたりして、なかなかに楽しいのだった。

素泊まりプランだったものの、姉が予約してくれた予約サイトの何とか会員特典の恩恵にあずかり、最上階ラウンジが使えることに。
軽食(と言えどもちゃんとした質と種類)、ソフトドリンク、アルコール類がフリーで、子どももOKということだったので、外には食べに行かず、食事はラウンジで済ませることになった。

部屋からの眺めと同じ方向ではあるものの、高さがかなり違うので、また違った眺め。
ちょうど日没を挟んだ時間帯だったので、食べながらトワイライト~夜景が楽しめた。

伊丹空港も近いので、けっこう大きめの飛行機が時々頭上を飛んで行く。
生ビール、スパークリング、白ワインと重ねて、子連れだった割にはゆっくり過ごせたラウンジの夜だった。

翌日はレイトチェックアウトでゆっくり出発。
伊丹空港までのバスに乗り、昼過ぎには空港に到着。
姉の飛行機の時間が私たちの少し後だったので、ギリギリまで子どもたちのお世話を手伝ってもらう。
保安検査場も一緒に通り、搭乗ゲートのところでお別れとなった。

ゲートを過ぎて機内へ向かう通路、手を振る姉の姿がだんだん見えなくなるあたりで、長男がポツリと「まるくん、さびしい...」とつぶやいた。
「うん、さびしいね...」と言うと、長男が「でも、幼稚園もあるし。もうすぐお遊戯会もあるしね」と、自分に言い聞かせるような口調で言うのだ。
あぁ、もうそんな、さびしさを振り切ろうとするような、これからのことに注意を向けようとする心の動きがあるんだなぁと、ちょっとびっくりした。

帰りの飛行機からは、雲の上にうっすら突き出た富士山が見えた。
それを見ながら、さっきのさびしさのことを思い返していた。

長男と同じく、私も手を振る姉の姿を見ながらさびしさを感じていたのだけれど、私の場合は15年ぐらい昔の、甥っ子との数々のお別れの場面を思い出していたのだった。
当時はしょっちゅう姉一家に会いに行っていて、たいていは新幹線の改札口で、中に入る私を甥っ子たちがいつまでも見送ってくれたり、たまに私が改札外から彼らを見送ったりしていた。
そういうとき、お互いにいくら別れをさびしいと思っていたとしても、彼らは私を見送った後、いつも一緒にいる日常に戻っていく。
当たり前のことなのだけれど、それが何とも言えずさびしかったのだった。

特別養子縁組で子どもを迎えた、元アイドルの武内由紀子さんのインタビュー記事を読んだことがある。
そこで彼女が初めて赤ちゃんに会ったときに思った言葉というのが、とても印象に残っている。
「この子は、かえさなくていいんだ」と彼女はまず思ったという。

分かる、と思った。
私が甥っ子たちとお別れするときに感じていたのはまさにそういうさびしさだった。
だから、さっき姉と別れてきた搭乗ゲートの場面を思い出して、あのときのあっち側とこっち側が入れ替わったような、過去と今を同時に見ているような、不思議な感覚を覚えたのだった。

子どもたち二人と大荷物を抱えながらの移動はなかなかにハードだったけれど、かえさなくていい子どもがいるありがたさも、ちょっぴり思い出すことができた旅だった。