Happy first birthday

真夏の出産から、一年が経った。

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丑三つ時に陣痛が来たあの日のこと、まだまだ鮮明に覚えている。
coffeesofa.hatenablog.com

初めての出産よりも、二人目の出産の方がより詳しく覚えているのは、直近の記憶だからというばかりでもない気がしている。
一人目のときは無痛分娩で計画入院だったし、立ち会いもできたから、どこか「自分(だけの)事」というより「他人(が一緒にやってくれる)事」という意識があったのかもしれない。
二人目のときはコロナで立ち会いができず、私だけが病院に行ったから、「お産の経緯をしっかり覚えておかなければ」という気持ちで、痛みはありつつも意識ははっきりしていた。
加えて、一度経験しているというのは大きくて、当事者意識というか、「自分が産む」という意識が二人目のときにはちゃんとあって、「私が頑張らなくて誰がやる」みたいな責任感に満ちていた。
一人目の出産のとき、いきんでもいきんでも頭が全然出てこなくて「もう無理!」とか言って、医者に「無理じゃないっ!」と怒られていたのは誰だったか...というくらい。

出産からしばらくの記憶というのは、あれはホルモンの影響なんだろうか、独特の色合いというか気分というか、に彩られて保存されている。
すべてがvividというか。
言ってみれば、思春期みたいな感じだ。
あるいは恋愛をしているときとか。
その頃の音楽を思い出しただけできゅーんとなるし、風や季節の変化にさえも胸が締めつけられるし、一瞬一瞬がスローモーションのように解像度高く詰まっている。
きっとホルモンのせいなんだろうな。

そんな思春期から遠く遠くまで来た頃に、あんなvividな気持ちを味わわせてくれる体験なんて、他になかなかない。
できるのなら、また出産してみたいと思ってしまう。
いい年になって不倫とか浮気とかの恋愛に走ってしまう人も、もしかしたらそういう気持ちを味わってしまうからなのかもしれない。
まぁどっちもやらないけど(笑)。

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大きな病気も怪我もすることなく、一歳のお誕生日を迎えられた次男。
この一年は早かったといえば早かったけれど、ちゃんと一年分の重みというか密度があった気がしている。
それもやっぱり出産と同じで、一人目のときと違って「これで最後」という気持ちで意識してしっかり味わってきたからかもしれない。

この先の一年も、その先の一年も、ずっと先も、繰り返すことはできない、一度きりの体験。