大人と子ども、秋の森②焚き火の思い出

この日の晩ごはんは餃子と決まっていたので、お昼は軽く、焚き火でできるものを食べることに。
バーベキューは具材の下準備や炭起こしで時間がかかるけれど、焚き火はそれより適当でも材料さえあれば燃えるから、せっせと集めた葉っぱや枝でまずは点火した。

着火しやすい葉っぱ→小枝の順に組んで、徐々に太い枝に火を移していく。
ある程度火が安定した時点で、焚き火といえばの芋類を投入した。

芋が焼けるのを待ちながら、また周辺を散策。

この日、雪虫を発見。
見えにくいけど、赤い実に止まっている。↓↓
たぶんもうまもなく雪が降るのだ。

何年か前に倒れたという大きな木があって、昨年来たときはただ倒れていただけだったのが、一部分解が始まっていた。

固い樹皮が剥がれて、中の繊維が雨風に晒され、いろんな微生物の仕事なのか、ふかふかのスポンジ状になってきている。
さらに下の層は茶色くなってもうほぼ土と化していて、土ができていく過程を如実に見たようで、とても興味深かった。

そうこうするうち、芋も焼けてきた。

大人はジャガイモに、バターとイカの塩辛をつけたり。
サツマイモはもちろん、子どもたちに人気。

腹ごなしにハンモックで遊ぶ。
ゆらゆらしながら見た景色。

ハンモックって、肩凝りにすごくいいかも。
ベッドと違って反作用(だっけ?押し返される力)がないから、重力フリーというか、背中から肩がすごくラク
毎日乗ってたら何かいいことありそうだ。

お腹も満たされたので、あとはボーッと焚き火を眺めながら、火遊びをした。
適当な長さの枝の先に、花火のように火をつける。
ただそれだけのことなんだけれど、メラメラと火が回っていくのを見ていると飽きない。
そのうち子どもたちも「やりたい」と寄ってきた。
火に触れる機会なんてなかなかないから、人に火を向けないとかいろいろ注意点を教えながら、枝を拾ってきては燃やす。
花火のように、棒から棒に火を移したり。

たまたま出会った焚き火のことを、今でも時々思い出すことがある。
小学二年か三年の頃だったと思う。
私と姉はその頃よく、父に連れられて釣りに行っていた。
釣りと言っても、海釣り公園みたいなところの岸壁から竿を垂れるだけの簡単なもので、早朝に出て、暗くならないうちに帰る。
あるとき、帰りがけに父が片付けか何かをしている間、姉と二人で歩いていたら、ドラム缶の中で焚き火がされていた。
暖かさを心地よく感じたから、きっと寒い季節だったのだろう。
そのへんに落ちているゴミを投げ入れるとメラメラ燃えていくのが面白くて、姉と二人で夢中になっていると、同じような姉妹がいつの間にか焚き火の周りにやってきていた。
年の頃も、姉妹の年の差も私たちと似たような感じで、姉も親近感を覚えたようだった。
あの年頃の女の子たちって、学校以外で同じぐらいの年の子に会うと、なんとなく意識して敵対的になったりすることもあるけれど、向こうも似たようなペアに親近感を持ってくれたのか、二組の姉妹の間には友好的な空気が生まれた。
かといってお互いすごくしゃべるわけではなく、焚き火を囲みながら、ポツリ、ポツリとしゃべったり小さく笑ったり。
ただそれだけのことなのに、そのうち父が迎えに来て帰るよう促されたときには、何とも言えない別れがたさのようなものが生まれていた。
たぶん向こうもそうで、お互い立ち去りがたく、いつまでもぐずぐずとその場に留まっていた。
最後はきっとどちらかの親に強く言われて去ったのだろうけれど、お互い別れを惜しんで、いつまでも振り返っていたような記憶がある。

焚き火といえば、いまだにあの海釣り公園のドラム缶と姉妹を思い出す。
あの絆感は、焚き火のなせる技だったのだろうか。

ひとしきり焚き火を楽しんで、暗くならないうちに撤収。
室内で少し休憩してからみんなで餃子を包み、お風呂に入ってからゆっくり餃子パーティーと相成った。

90個の餃子が無事全員のお腹に収まり、森の夜は更けていったのだった。